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step7は回復できるか否かの境界線なのだと今は思います。

7月も今日明日で終了ですね。
さて7月なのでstep7です。今回はかなり長文です。

1は問題を知る。
2は解決策と行程表を知る。
3は1・2を踏まえて、んじゃ~とりあえずはやってみるかと決心する。
(以降行程表に従う)
4は棚卸し表を作成する。
5は神ともう一人の人と一緒に棚卸し表を分析する。
6は5で明らかになった自分の欠点とにらめっこする。

今までの記事をざっくりまとめるとこんな感じでしょうか。
7は「私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。」です、

愛すべき私の仲間たちは、大体この辺まで問題なくたどり着きます。
多少ごまかしても、ここまでは来れるから。
ただね、7はごまかせないところなのでここはシンドイところです。

愛すべき仲間と書きましたが、仲間達の苦悩の姿が強烈に自分の心に響くのです。
その仲間達の行動・考え・態度に自分自身を見つけてしまうので、やっぱり仲間なんだねぇ・・・、といっつも思う。(だからここは強迫的ギャンブラー以外の人が見たら全く違う考えと反応を見せるのだろうなぁ、と思います。)
だからここは頑張りどころなのです。

このステップが言いたい本当の事は何なのかは残念ながら今の私にはわかりません。
もともとこの記事は現状の自分なりの理解を残す目的で書いているのでその辺りはご了承ください。

自分の拙い経験上から言えば、このステップは「何かや誰かに頼らないでも、能力さえあれば自分の問題は自分で解決できるという考え」を諦めて、「自分を超えた偉大な力に頼る事」に自分自身が納得する事だと思っています。
これは本当はステップ1から3まででやるはずのものなのでしょうが、今の理解ではこれが7に来てしまいます。

ここでそう理解する理由ですが、6で示された欠点がそれだけショックだったという事なのですが、それ以上にショックなのは欠点を知ったにも関わらずそれを直す事ができない自分がいる事です。
自分で何とか出来ると思ってここまでやってきて問題まで明らかにしたのに、結局何も手を付けられずそのままになってるじゃないかー・・・。
・・・自分の問題は自分で解決できない・・・の・・・???
そしてこの後に控えるステップは埋め合わせの準備と実際の埋め合わせという現実の行動を求めるものなので、このままでは非常にマズイのです。

まさにその時、私たちは信仰の問題に直面した。この課題を避けることはできなかった。(BB P78)
という事になる訳です。

7で求められるのは純粋にその人自身の考え方の転換なので、周りの人間は4・5のように目に見えて出来る手助けをする事はできません。
そして考え方はその人の行動となって現れますので他人にも自分にもごまかしが利きません。
ですので非常にシンドイのです。

なのでここはガ・ン・バ・レ!
6・7を超えなければ8・9はまず失敗すると思って間違いないです。
正すべき誤りを6・7で認め、8・9でその誤りを正すために埋め合わせをする事になるのですから、6・7が出来なければ8・9は出来ません。
逆に6・7・8・9と自分自身精一杯誠実に行えたと思ったら、その時はその相手方に対しても、そして自分自身に対しても、埋め合わせは出来たという事になります。
私なりに埋め合わせを終えた時は、静かに、心の奥の方から暖かい何かに満たされて、それでいて少し痛い、そんな感じです。

失敗した事柄は戻らないです。これが痛みの元かな。
でもその経験は今から活かす事が出来る。これが満たされる何かかな。
埋め合わせをする度に、この人達に顔向けできないようなことは二度とするまい、とそう思うのです。
二度とやらないとは二度と言えぬ強迫的ギャンブラーですが、それでも二度とするまい、とそう思うのです。

さて、埋め合わせの話は次々回に回します。
話は7に戻して、私は自分がスポンシーとして初めてのステップを踏んでいた時は7はしれっと素通りしてしまっていました。
その時には私にとってかなり印象に残った出来事があったからなのかもしれません。

それが一度一通りステップ踏んで実際の生活で使用するようになってみてある程度時間が経ってみたら、何か7って実は超ムズなんじゃんか・・・と思うようになりました。
それからです、ステップも生き物なんだと、時間と共に理解も変わって当然、だから成長が出来るのだと思えるようになったのは。
そしてその前提として毎日の継続が不可欠であって、継続する事に終わりはない事が恥ずかしながら初めて腑に落ちた感じもしました(汗)。

ところで・・・私が小さい頃に亡くなった祖母がよく言っていました。
「米粒一つ一つには7人の神様(名称・年齢・性別不詳、住所不定)がいんだー。だから残しちゃなんねーし、ありがたく食べろ。」と。
え?、神様食べちゃっていいの?と思ったものですが、幼心に畏れを抱いた私は言われた通り手をあわせて頂きますと言って、コメは一粒も残さず(残せず)食べて、ご馳走様と手をあわせてから食事を終えました。
食事の度に言われたのでいつしかそれが習慣になりました。
今思えば祖母なりのしつけだったのかもしれません。

でもね、私は今も米粒には7人の神様がいると思ってしまっています。
ばーちゃんに一回質してみたい。ほんとに米粒には神様がいるのかどうかって。

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