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疑いの目線

小学校2年生の九九以来、久しぶりに暗記に励んでいます。
声を出して憲法と試験科目の法令を最初から最後まで読むと2時間以上かかります。
いまさら遅きにすぎるかもしれませんが、条文の正誤問題が出た時はただ覚えているだけで得点する事ができるので下手な問題を解くよりは多分効果はあるでしょう。


一つの本をこんなに読むのは久しぶり。
すでにビックブック以上に読みましたが、未だざるで水をすくっているような感じでさっぱり覚えられません。
(コマッタモンダヨ。。。)
かろうじて勝負になりそうな気がしないではないのですが、圧倒的に分が悪いのは確かです。
ここまで来て、もう少し時間が欲しいと切に思います。
スタートしたのは8月中旬、でもやろうと思えば6月からは勉強スタートできてたのさ・・・
出来る時にやろうとせず、ケツに火がついたら時間が欲しいと思うこの身勝手さ。


「時を守らぬ者は、神にも金にも守られぬ」は某宗教団体の今年のご神言だそうです。


・・・全くもってそのとおりでございます。



世の中の動き的には今の政治の動きや日本を取り巻く周辺環境、随分慌しく不安定。
翻って自分の身の回りの環境、自分の精神状態、身体状態や経済状態を見てみれば、やはり慌しく不安定。
人の粗が目に付く時は、やはり自分の側に大きな問題がある時です。
自分の側に問題がある時はとにかく「でしゃばらない」に限ります。
外部の問題に意見を言わなければ、口にチャックしてる自分の名前が上がる事は無いのです。
でもねぇ、そういう時程口が勝手に動いて喋ってしまうんですよねぇ。
手が勝手に動いてこういうところでも余計な事を書いちゃうわけなんです。


口とペンの抑制ほど大事な事はない、と本には書かれているけれどまさに文字通りです。


我ながら何回も同じ事を繰り返していてよくも飽きないものだと思いますが、やってる時は気付かないのだから自分的には全然飽きてないのです。


冒頭に書いたように法律の勉強をしていると、法律に対する考え方やものの見方を理解しなければいけなくなります。
理解しようとしないかぎり勉強しようと思っても出来ないのです。


ところで日本は三権分立がなされていますが、その三権、立法・行政・司法が互いに懐疑的な見方をしていくのが重要だ、という考え方があります。
あいつのところ、実際ちゃんとやってのか?と、そういう見方をお互いにするわけです。


人の目で常にチェックして見られていれば自然と襟を正さざるを得ない、なので互いにそうやって相手を見ることが大事なのだ、という事らしいです。


一票の格差問題で最高裁は国会に対し、今の違憲状態を何とかしろと、ずっーーーと言ってきたのに国会が放置ぷれーであまりにも何にもしないもんだから、最高裁こないだぶち切れたでしょ?(ちがうとおもうけど)
次の選挙、一票の格差是正しないなら選挙をしてもその選挙結果を無効にすっぞ的な判決。
選挙が無効になるという事は議員資格が与えられないので衆議院が無人になり、実質参議院だけの一院制になります。
そうなったら一体どーなるんだろー

あ、こういう余計な事は書かない、喋らない、だった。


で、何が言いたいのかと言われれば、懐疑的なものの見方というのは実は非常に大事な見方だという事です。


この業界に長くいると、私なら分かるけれどあの人がスリップしたなんて信じられないとか、あの人はもう大丈夫だろうけれど、私はまだスリップしっぱなしで、とかいう話や、私はもうスリップしない、なんであいつらいつまでたってもスリップしっぱなしなんだろね、とか、私はギャンブルはもうお腹いっぱい賭けたからもう沢山なんだ、スリップしてる人はまだやりたりないんでしょう、とかいう話をたまに、というかわりとよく聞きます。


それはとても高慢なものの考え方であり、自己中心的な見方です。


一つは、つまり、自分は間違ってもしょうがないし自分は滑ってもしょうがない、だって自分は間違える存在。
けれどもあの人は間違ってはいけないしあの人は滑ってはいけない、だってあの人は間違えない存在だから、という見方です。


極端に感じるかもしれませんが、これは相手を自分の信仰の対象にしている頻出パターンです。
よって自分にとっては相手は神かそれに近い存在なので間違ってはいけないわけです。
間違えない存在であると自分は信じていますので、その自分の信仰を証明するためには相手が間違えない事を監視する必要が、疑ってみる必要があるのです。
どうして疑ってみるかといわれれば、ただ信じているよりも、自分の基準で間違っていない事を見続けていた方が確かだからです。


さて、見続けるにあたってはの間違えを図る物差しが必要になりますが、その物差しは自分が用意する事になります。
相手にはその基準は決められません。物差しを決める、物差しを必要としているのは自分であって、相手ではないからです。
そしてその物差しの目盛の幅を決めるのは、その相手に求める自分の理想像です。
その理想が高ければ高いほど物差しの目盛は小さく(厳しく)なりますし、理想が現実的であればあるほどその目盛は大きく(寛容に)なります。


周りの人達が崇め奉るから盲目的に信用してしまった、私はあの人のいうなりだった、おかしいとは思ったけれど相手を信じてついていった、といったような事を聞くときもあります。
実際に一度でも目盛に触れたら幅を広くすれば問題はありません。
でも大抵はその逆パターンになるような気がします。
一度でも自分が信仰した相手なのだから「そんなはずはないんだ、相手は間違えるはずが無いんだ、私が何かまずかったんだ、だから相手を信じよう」と思い、その思いを裏付けるために今までよりももっとその目盛りが小さくなっていく、そんな流れではないかと思います。
そう考えれば根本として相手は間違えない、自分は間違えるというパターンから変化がありません。


で、自分への物差しはどうかと言われれば、自分は間違える存在だから物差しは必要ない、という事になります。
物差しが間違えない事の証明に必要なだけなので間違える自分には不要なのです。


さて、次に二つ目のは一つ目とは全くの逆に見えるもので、俺最強伝説まっしぐらなパターン。


俺は間違えないから、おまえら俺のいう事しっかり聞いとけ。
俺の言うとおりにしておけば大丈夫だから、という俺間違えない人、俺以外間違う人の見方です。


この超上から目線の人間の物差しは、今度は俺以外の間違う人間達が、一体どのくらい間違うのか、その間違えた分だけ俺が矯正してやる的な間違いの幅を知るための物差しが必要になります。
自分は間違えない人間なので、間違える幅を図る物差しは不要なのです。


そしてその物差しの目盛の幅を決めるのは、その相手に求める自分の理想像です。
その理想が高ければ高いほど物差しの目盛は小さく(厳しく)なりますし、理想が現実的であればあるほどその目盛は大きく(寛容に)なります。


(ん、さっきと同じ文章コピペできたぞ。)


ミーティング中、自分が話している最中に誰かが隣の人とヒソヒソ話を始めました。
私が今話しているのに、何でこいつら黙って聞いてないんだと、物音出して邪魔すんじゃないと、そう思いました。


ミーティングの最中、仲間が喋っている時にそういえば隣の仲間に言い忘れていた事があって私はヒソヒソと声をかけて用件を伝えました。
一言二言で終えるつもりが結局1分近く喋ってしまいました。
それはわざわざミーティングの最中に話さなくてもいつでも、メールでも伝える事が出来た事でした。
でも私はその時になんとなく伝えたかったし、それにGAに無関係な事を話したわけではないのだからいいだろうと、そう思っていました。


疑う、という見方はいい意味にとられないかもしれませんが、疑って見ることで今まで気付く事が出来なかった事に、「あっ!」となる事は実は沢山あります。


そして疑ってみるべき対象は「自分」です。
上の2パターンは相手だけを疑って自分は疑っていないのです。
結局両方とも俺最強パターンの裏表だから相手にしか目がいってないのです。


自分を疑う目が出来て、自分を直視していくのは結構しんどい。
でもそれをやってはじめて、自分の中にスピリチュアルな感情というものが芽生えるのではないか、思いやりや寛容、正直とか謙虚という感情は、自分の理想と現実がぶつかってせめぎあった結果として生まれてくる妥協点だと私は思っています。
ちなみにこれをどうも死ぬまで続けていく事が、アブスティナンスを続けていく事に繋がっていくのではないか、とも思っております。


そして自分を疑いつつ、相手も、GAも、仲間も、プログラムも、とりあえず全部疑っていくと妥協点それ自体が変化していくと思います。


未熟な話を延々書いてしまった上に、ここまで書いちゃったからこれを消す気にもなれない・・・
口とペンの抑制ほど大事な事はない、と書く奴ほどそれを抑制できないというのはやはり真実です。

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