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step8 セレモニー準備中

8月なのでステップ8。
「私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。」
と書かれていますのでここでやるべき事は2つです。
①傷つけた人の表を作ること。
②埋め合わせをしようとする気持ちになること。

①はstep4で棚卸し表を作った時に半分以上は完成しています。後はその時には思い当たらなかった事を書き足していくか、または最初から書く必要がなかったもの、6・7で消えてしまったものは削除していきます。
あとはその表とにらめっこして埋め合わせをする気持ちになること。埋め合わせをする気持ちになれなければそうなれる事を願って祈ること。これが②で以上で8は終了となって次の9に移ります。

ところで「埋め合わせ」という言葉の捉え方ですけれど、個人的には「謝罪」でwikiに書いてある説明が一番しっくりきています。
「謝罪する事の本態は、詫びた方、または詫びられた方、または双方の再出発(reset)の為のセレモニーである。通常はどちらかであり、問題の解決でない場合が普通である。」※Wikipedia「謝罪」の中の「謝罪の本態」より。

ちなみに本態とは「本当のようす、本来のありさま」という意味です。
「埋め合わせ」と「謝罪」では言葉自体違いますが、ステップで言っている「埋め合わせの趣旨」はここでいう「謝罪する事の本態」とほぼ同義ではないかと私個人は考えます。

埋め合わせの趣旨は、埋め合わせを行う相手に自分を許してもらう事が目的ではありません。
ステップ1からステップ7まで行ってきた過程で浮かび上がってきた、自分の欠点を取り除いてもらうために行うものです。
それを前述の説明文に当てはめれば、埋め合わせとは「埋め合わせを行った方、または埋め合わせを受けた方、またはその双方の再出発の為のセレモニー」という事です。
自分の再出発の為に埋め合わせを行っているのですから、一度埋め合わせを行った以上は埋め合わせの相手がどんな反応を示そうがそれは大きな意味を持ちません。
「もしも相手からとっと帰れと言われたとしても、気にすることはない。私たちは自分の意思を示したのだし、できることはやった。それ以上はいまさらどうにもならないことなのだ。BB p112」

埋め合わせのいいところであり、そして決定的に大事なところは「こちら側から」アクションを起こせる事です。
こちらから再出発の為のセレモニーを開催できるところです。
ギャンブルを止めたい、と願ってここまで来た私たちにとっての埋め合わせは、自分のアブスティナンス(賭けない生き方)を歩みはじめるためのきっかけ・セレモニーです。
ここが新たなスタートとなるところです。

で、そのスタートをきるためのステップ8なわけです。
そのためのステップ1から7までなわけです。
ということでまた自戒次回。
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「秘すれば花なり」≒「引きつける魅力」

今までの経験上、GAに初めて来た人達が置かれている立場や状況は彼らの話と来訪時の状態からある程度パターン分けをする事は可能です。
可能ではありますが、原則自主参加でやっている当事者グループですので強制力がありませんから、結局のところ何ができるという訳でもないのでグループ分けが出来たとしてもあまり意味はないのですが。

こちらに出来る事と言えば、相手に強迫的ギャンブルの事を伝える事と相手の話を聞いてあげる事、以上くらいのものです。
こちらが同じ言葉を発してもそれをどう受け取るかは置かれている状況にも左右されますし、その人の感性や考え方にも影響されます。

ですので、そんな人達に対して自分が今出来る事は何か、と考えて対応してあげて下さい。
半年も当事者グループに通っていれば、新しい人が一回で来なくなるほうが続けて出席することよりも圧倒的に多い事はすぐに理解できます。
私たちがそんな相手にメッセージを伝えられる確実なチャンスは今日しかないです。
明日の保証は誰にもできないですし、こちら側もいつどうなるかはわからないのですから。

とはいってもそれはワンチャンスをモノにする、というギャンブル的な思考ではなくて一期一会の精神で、です。
心のどこかにこの人対しては今何を言っても通じないとか、まだよく現実を理解していないとか、しばらくしたらまた来るであろうとか、もしそう感じたりしたら、そう感じたときほど、後から自分にとって悔いが残らないように自分に出来る限りの事をしよう、とそう思ってください。

「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力をもった原理がある。それは調べもしないで頭から軽蔑することである」
神という概念もそうだったのと同じで、目の前に居る見知らぬ人に対しても、私たちは先入観とそれを裏付ける浅薄な自己の経験から、頑なな態度を往々にして取ってしまう事があります。もしビックブックを持っているのであれば、この文章を思い出してください。

ビギナーが来た時の対応はグループによって様々でしょうから、その時に自分が相手に対して出来得る精一杯のおもてなしを行っていきましょう。
思いやりの心を忘れずに、です。

思いやり、とは相手が理解できるように、またはしやすいようにこちら側が話す、記す、という事です。
最近テレビでよく出ている池上彰さん、東進の先生の林さんなんてとてもよい例です。
あの方達の伝え方は職業倫理・プロ意識から来ているものと思いますが、とても分かりやすく説明してくれます。
といっても話している言葉自体は非常にシンプルです。

言葉は少ない方がそれを聞いている相手の負担が少なくて済むから楽です。
池上さんが以前「利息」という言葉を説明しているのを聞いて、なんて分かりやすいのだろうと思いました。
みなさんなら、利息って何?、と聞かれたらどう説明されますか?

池上さんは、「利息」とは「お金を貸してくれた御礼」のようなものと説明していました。
林さんはこちらを。


少ない言葉で分かりやすく説明するためには、自分がその事を理解している必要があります。
そのためには本を読んで勉強する必要があるのです。
ハンドブックもビックブックも12&12も、何度でも読んで調べて考えて、読んで調べて考えて、理解を深めていく事がとても大事です。
持っていないものは手渡せないのですから、持ち物をどんどん増やしていきましょう。

私が強迫的ギャンブルで精神病院に入院した4年前には具体的な治療は病院では施されませんでした。主治医からは俺は何もしないからと宣言され、GAには引き続きいくように指導されました。
このあたりはビックブック当時と現代とであまり大きな差はないように思います。

いまだ治療は当事者グループの存在にそれこそ依存している状態なので、私たちはそのスキルを磨かなければいけないのです。
餅は餅屋に、と昔から言われるように、youtube動画で林先生も同じよう事を言っていたでしょう?
私たちは金こそ受け取れないけれど、強迫的ギャンブルの回復にかけてはプロ中のプロでなくてはなりません。
アマチュアだから、当事者グループというサークルみたいなものだから、勉強もしなくていい、喋りたい事だけしゃべっていればいい、では自分で自分のクビをしめていく事になっていきます。

私たちが賭けない一日を延ばしていくためには新しい仲間達の存在が不可欠です。
だから相手の話を聞く時はそれこそこの人の話をどうか最後まで聞く力を私に与えて下さい、とあなたの大事な何かにお祈りしてもよいくらい。
そしてメッセージを発するチャンスを得たならば、その人が理解できる形で今自分が持っているものを伝える事に集中する事。
その一瞬のためにこっちがやっておくべき事がここまでツラツラ書いてきたことです。

もし・・・「この人達、一体何をすればギャンブルやらないでやっていけてるのだろうか?。何か秘密があるのかしらん?」と相手方が思ってくれれば私たちの寿命が延びようとしている前兆(笑)。
全部その人の前では出し切っているにも関わらず、何かこの人達には秘訣というかコツがあるのではないか?、とそう相手に思わせるものの正体は恐らくは「引き付ける魅力である」という事になるのでしょう。
隠していないのに隠しているように思われてそれが魅力となっている・・・、おー、これもまた秘すれば花じゃん!、と手前勝手な解釈に妙に納得して割とご満悦^^
ここまで長文にお付合いくださりありがとうございました。

未来は今日の結果の積み重ねにあり。

七夕も昨日で終わり、先週までは25℃前後と過ごしやすかった仙台も随分暑くなってきました。
この間大晦日だと思っていたらもうお盆ですもんねぇ。時間ばっかり経ってしまってやですね。

ところで群盲象を評す、という諺があります。
大勢の盲人が象の体をなでて,それぞれが自分の触れた部分の印象だけから象について述べた(※大辞林第3版より)という事を言っています。
色々そこから発展させた解釈がありますがそれは置いといて。

勉強をしていてもこれはいつも感じることです。
問題が「象」を正面から見たらどう見えるか?をいつも聞いてくるので正面の象だけ覚えていたら、ある問題で急に「象」を後ろから見た視点で聞いてきて、???となって全然理解できずに解説を見てみると、「あ゛・・・ぞうのことだったんじゃんかー」と理解してがっかりする。自分にがっかりする。
勉強は厳しい。何が厳しいかって指摘されることが弱点直撃で痛すぎる。
自分だけは一生懸命やった気になってたのにー。分かった気になりきってたのにー。
先月末からその繰り返しばかりでかなり凹んでます。

とはいえ凹んでいても時間は勝手に流れていくので手はうごかさなきゃいけません。

「プロは知識の精度と正確さで勝負するんです。その対価として報酬を得るのですから。」と私が尊敬している先生は仰っていました。
精度と正確さを徹底する為には繰り返し繰り返し学習する事。
でもその学習の繰り返しは飽きちゃって面白くなくなっちゃうのでみんなこれができないんだと話していました。
それを続けるためにはモチベーションを維持する事で、そのモチベーションを維持するためには、今の勉強を続ける事で自分はどうなりたいのか、何をしたいのか、そのなりたい自分をどこまで具体的にイメージできるかによるんです、という事も言われていました。

とりあえずその辺の妄想は常に持っていますが、今の所は来年の本試験の瞬間に択一・記述ともすらすら解いている自分の姿を思い浮かべておりまするので(妄想は自由)、その現状のゴールに向って今の自分は何をどうすればいいのか、それは意識してやっています。

だからこの時期に視点変化程度で象を象として認識できないなんていうのは論外なのです。
そのゴールの状態からは正直言って程遠い。
その結果からすれば現状で改良できる余地は相当あるので早速やっていっています。早く結果が出て欲しいな・・・。

時間も無ければ金も無い、年だけ食ってく今の状況を何とかしたければやるしかないのです。
ちなみに何でこんな修羅の道をわざわざ行こうと思ったのかは、一つには社交性の欠如があります。
サラリーマン、私には多分向いてないと思います。根っこの部分で私は人嫌いなので、一人でやっていけるようにするためにはそれなりのバックボーンが必要なのです。

あとは今の現実です。
私は絵に描いたような転落劇を演じてしまったものですから、社会復帰が厳しいのです。
今までの履歴や職歴から見ればこんな奴が履歴書送ってきても普通は相手にしないでしょうし実際相手にされてません。
その辺はね、自分なりには世の中割と平等なんだと思いました。誰のせいでもなく自分の望んだように生きた結果を周りは客観的に見ているだけなのです。
でもそんな生活を送ってはきたけれど、これからは誠実に毎日を過ごしていればいつかはきっと報われるしやりなおせる、とそう思っていましたが、やってもいない事をやった事にされたり、自分がどんなに頑張って、自分なりに精一杯尽くしたしてもそれと正反対の結果が出てきたりすると、何で俺だけこうなんだよー、正直に生きようとしたって報われないんじゃないかと今まで結構凹んだりなんだりしてきました。

自分が今立っている足場は何てもろいんだろう、何かあればサッーと崩れてしまう砂の城なんだなぁとしみじみ思いました。
どこかで稼いで当座の飲み食いは凌げたとしても、延々それを繰り返して俺は一体どこまでいけるのかなぁ。
どこかいい職場に就職できたとしても続けたくても続けさせてもらえない、どれだけ働きたいと思ってもそれが叶わない、またそういう思いを経験する事はあるだろうなぁ。
そうやってその時50・60になってたらどうなんだろ。
そういう生活しながら俺GAには繋がっている事ができるのかな?

俺の未来は一体どうなるんだろうかと。
どっかで急に何かが変わってある程度満足した生活を送ってるんじゃないかと妄想しているその根拠はどこからくるんだ?と。

去年の秋口あたりから、その辺の事は随分色々考えました。
んであれです。因果応報、今の自分の結果に応じた未来になるんだから、やるべ、という事になったのです。

貧すれば鈍す、まずは何より食うため。
どんな事をやろうとしても、食えない以上は何もできんのでまずは食える事。
食える未来に行くために、今までと違う事をすればいい。
食っていくための社会的な信用が無いのであれば自分でそれを作ればいい。

だから勉強しよう、となりました。

今後日本経済がどうなっていくのかは分かりませんが、企業は経営効率化の一環として今後も人件費削減は行っていくでしょうから非正規雇用者は増加していくでしょうし、少子高齢化に伴い公租公課の負担も増加、手取りは少ないわ、長くは働けないわ、差っぴかれるのは多いわで、一層厳しくなっていくのは想像に難くない現状です。

資格は取れば必ず食える、というものではないけれど、自分で畳むと決めるまでは定年を迎えることもなく、いつまででも仕事を続けることができます。
それに私のような性格破綻者が士業を営んでいるのを複数人この目で確認してるので、その辺は問題ないのと、食えるかどうかは本人のやる気次第、気持ち次第だと私は思っているので。
やる気次第、気持ち次第で食えるのであれば、それだけでチャレンジする価値があります。現状のままでいけば、それはどんなに私が頑張ったとしても与えられるとは限らないのですから。

さて、長くなっちゃったのでそろそろ駄文を閉めます。
まとまりはありませんが脳内垂れ流しのままに書きましたのでどうかご容赦ください。

叱ってくれるモノたち

年ばっかり食ってしまったせいで、たまに怒られることはあったとしても叱られる、という事はなくなってしまいました。
もともと様々なリアル事情から逃げ続けてこの年になってしまったので、その道すがらで叱ってくれる人を私が全部振り払ってきたのです。
今思えば友人が私を叱ってくれた時は自分にとって棚卸しのタイミングであったし、埋め合わせのタイミングでもあったのだと思います。
甘い言葉でも優しい態度でもなく、私の現実を直球で示してくれたのですから。

結局私は言われたくない事を言ってくる人達の前から逃げて、物言わぬ機械の前に落ち着きました。
ですが、その物言わぬ機械達が今度は私に私の現実をバシバシと突きつけてきました。
朝から晩まで台の前で、もうやめたいよといいながらレバーを叩き、折角当てた大当たりなのに猛烈に虚しくなって泣きながらハンドルを握っていたり、p-wordを見ようと切っていた携帯の電源を入れた途端に表示されるサラ金からの沢山の着信と家族と会社の同僚からの沢山のメール着信があったり、悪いことはわかっていて会社の金庫から有価証券を抜き出した時の罪悪感とそれに勝る安堵感、そう思っていながらこの席を離れる事ができない自分。
死のうとしても怖くて死ねない、このまま消えてなくなりたい、狂ってしまって何もかも判らなくなってしまったら楽だろうな、と毎日毎日思いながら目の前の機械に向き合う。

そんな日々を繰り返し繰り返し、いつしか心底疲れてしまい、誰か止めて欲しい、助けて欲しい、そう私に思わせた最大の説得者はあの機械達だったと思います。
「人の話に聞く耳持たないなら機械から諭してもらえ。どのような結末になろうと気付くまでそこにいろ。」という私のハイヤーパワーの覚悟のご配慮だったのかもしれません。

あの機械の説得者達の前から離れて約4年半が経ちましたが、私が自分の現実を見ようとしなくなった時は、気付いたらまた彼らが目の前に居た、という事になるのでしょう。
今自分を叱ってくれるものはないのかと言われれば、今は12ステップと受験勉強が毎日ピーチクパーチク言ってきてるので寂しくはありません。
言われる事がかなりストレートなので毎日耳を塞ぎたくはなりますけどね。

自分が今どんな状況であれ、自分に出来る事は今日一日をどう生きるか、でしかないです。
昨日を今日の肥やしにするも、今日を明日の礎にするも、今日一日を自分がどう過ごすかによって変わります。
四六時中自分と一緒に居る自分自身に対してウソを付かないで済む日は、12ステップと勉強からは何も言ってきません。
その変わり色々サボっちゃた日にはもー大変だけど、国と違って将来世代に負担をお願いするなんて芸当は物理的に不可能なので、自分が生きてる間に自分の事は何とかしないといけません。

明日の自分にツケをまわさないように、どうか今日の自分、お願いしま~す。

presented by 地球の名言

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Author:よはん
強迫的ギャンブラー よはんの備忘録
GAの事、自分の事、今考えてる事など徒然書いています。

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