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自分が百鬼夜行の一員である事にも気付かずに

最近ミーティングで話すことが無くて自分の番が回ってきてもパスをする事が多いです。
何の話をしたとしても悩みのほとんどは自家製・お手製であって自分で解決するしかない、というおちに行き着きますので我ながらつまらんのです。

目標を持たずに毎日を過ごしていて一体何が楽しいのか。
今自分がしている事の意味を理解できない事は虚しくないのか。

現状でよければかように思い悩む事もないのが道理ですが、一度でもそのような視点に立ってしまうと自分自身もその百鬼夜行の群れの中に居る事も忘れ、何とも勿体無いと思ってしまいます。

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自分が抱えている問題を甘く見てはいけない

おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光で 月を見るなり(作者不詳)

仏教の「業」は、
(一)行為をおこす前の意志作用、
 ↓
(二)身体、言語による行為そのもの、
 ↓
(三)その行為の残存効果、
という三を内容とし、その順序で展開する。
単に「行為」(梵語カルマン)という語だけでは表現しきれない。ともあれ、心(意志作用)から業は生じ、その業の結果として私の世界が形成される。

 ところで、「この現実(私の世界)は、私の業のせいだからしょうがない」といったせりふをよく耳にする。それは慨嘆、後悔、あきらめの気持の表明であり、暗いひびきを奏でる。
 「この現実は、私の業のしからしむるところだ」という表現は正しい。自業自得、自己責任性がはっきり表明されているからである。受験に失敗したのは私が不勉強だったからであって、社会、先生、家庭のせいではない。責任転嫁を許さないのが業の理論である。

 自業自得の道理をわきまえた上での「しょうがない」との発言であれば、暗いあきらめでおわることはない。かならず現実からの展開があるはずだ。

 というのも、不勉強の結果生じた好ましくない果が未来にまで継続する、とは仏教の業論はいわない。未来の果は、現在いかに行動するかにかかっている、と教える。

その場合、不勉強という原因は道徳的には悪であろう。
しかし、失敗というその結果は、好ましくないことではあるが、悪ではない。合格という好ましい果を得た者が高慢ちきになればそれこそ悪である。
逆に、失敗が逆縁になれば善である。悪因苦果、善因楽果であって、悪因悪果、善因善果ではない。そして、失敗という好ましくない果をバネにして新たに行動をおこした結果、 卒業時には、 合格した人よりはるかに好ましい果を得るということはよくみられるところである。

 従って、「しょうがない」をあきらめの運命論としてしまうか、それをバネにして未来へ展開をはかるかは、全く私個人の問題である。
仏教の業論は、決して運命論の論理的根拠ではなく、明るい未来を生みだす理論を提供するものであるといえよう。
大谷大学のページから引用

という訳で高慢ちきなままで進んでいくと、自分の現実はもろくも崩れ去っていきます。
まさしく、ただ春の夜の夢のごとし、です。
失敗を逆縁にするためには、月の光で月を見るなりの心持ちが必要になるでしょう。
それだけにっちもさっちもいかない状況で私ら強迫的ギャンブラーは生きている事を努々忘れるべからず。

ステップ3の要旨は徹底した客観視

東日本大震災から本日で2年が経過しました。
震災で亡くなられた多くの方々に心から哀悼の意を表すとともに、我が故郷の復興を祈念し黙祷。

さて、今月のホームグループでのステップミーティングのテーマはステップ3。
例のごとく時間の経過と共にステップに対する自分の解釈も変化していますので、あの時はこのように考えていたのかと後から振り返って見る事ができるように備忘録として書いておきます。
※ここに書いてある事は私見ですのでGAの全部や一部を代表した意見ではありません。

ステップ2の要旨は先月の記事で書いたとおりで、なりたい自分になるための行程表、と私は理解しています。
ステップ1では問題が提起され、ステップ2でその解決策が提示された訳です。

そして、
3.私たちの意思と生き方を自分なりに理解したこの力の配慮にゆだねる決心をした。
これがステップ3の文言です。

ステップ1の現実の自分の姿とステップ2で示されたなりたい自分の姿にはギャップが存在します。
そのギャップの深刻さを痛切に把握して、なりたい自分になるためにはこの行程表の通りに進んでいくしかないんだと決心する事がステップ3の趣旨です。

12のステップは文字で示されていますがこれこそが行程表でありスケジュール表になっており、1から順番に進むように設計されています。
GAのミーティングではこれを読むたびに回復スケジュールがメンバーに対して提示される訳ですが、従わない人がほとんどでしょう?

それはステップ1で認めるべき自分の問題の本質を掴んでいない事、そして自分の問題を知らないからその解決の方法を知らず、解決すればどのような自分になれるのかを全く想像できないから、自分にとって意味不明の行程表を踏んでいこう!などという気持ちには到底ならない事が原因だと考えます。

昨日と変わらない今日を生きれば、今日と変わらない明日を生きる事になります。
生き方や考え方の総決算が今日の自分です。
今日の自分で満足であれば何も言う事はありませんが、恐らくはそうではないでしょう?

不満足であれば今まではとは違う事をしなければいけません。
繰り返しますが今までと同じ事をしても結局何も変化は起きないからです。

ここで大事になってくるのが「やる気」になりますが、やる気を出すためには現状の自分となりたい自分のギャップを把握する事が鍵になります。
何故なら変化の必要性を強く感じるほどに、モチベーションはアップするからです。

「なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階へ上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくり上げる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、決してハシゴは生まれない。」
松下幸之助の有名なこの言葉、ビックブックに書かれているライト兄弟のくだりのところにそっくりです。

ただし、いくら熱意・やる気を出せといってもその源にくる何かがなければそれは難しいでしょう。
よって現状の自分となりたい自分とのギャップを知ることが大事なのです。
それがやる気の源になって、12のステップやなりたい自分になるための行程表・スケジュールに書かれていることを実践する決心が出来るようになるのだと思います。

問題を知るから解決がある事を知り、解決する方法があるからそれを実践しようと決心する事ができるわけです。

眼福 ~若冲が来てくれました~

今日はお休みだったのでミーティング終了後、前々から見に行こうと思っていた絵を見に行きました。
これです↓
130107_vermeer01.jpg

以前にフェルメールが描いた絵を県美術館で見たことがあり、いたく感動したのです。
今回は本物ではないけれど全作品が見れるというのでそれなりに期待していったのですが・・・

リクリエイトとか言っていますがあれは絵ではなくて単なるポスターで、見てみても何の感動もなく、かなーりがっかりしました。
それなりに期待していた分だけ、あっという間に興ざめしてしまい3分も居続ける事ができなくてそのまま会場を出ました。

期待はずれのがっかり&ムカムカの気分が入り混じったまま歩いていたのですが、「そーいえば今仙台に本物来てたじゃん。」という事を思い出し、この裏切られた感を何とか補完しようとそのまま青葉山の麓まで歩いていって見てきました。

s-DSC_0045.jpg


s-DSC_0050.jpg

これ↓
s-DSC_0053.jpg

展示されている絵画、2時間かけて全部見てきました^^
しっかし若冲すげーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

絵画と人間を区切っているあちこちのガラス、白く跡が付いていました。
それは額や鼻の頭がガラスに付いた時にできたもの。
最初は何でこんなに汚いんだろう、すぐに拭き取ってくれればいいのに、とそう思ったのですが、これでは拭いても拭いても追いつかないという事に、私もその白い跡を自分で何回も付けてみて気付きました。

百聞は一見にしかず、眼福でした。

「若冲が来てくれました」
↑のページで左から右に流れている屏風絵「鳥獣花木図屏風」がありますが、これが一番最後で目玉として展示されています。
これだけはガラスで区切られておらず、そのまま見ることができます。
10分超の時間一つの絵を見続けた事、絵に感動して涙が出てきた事、一度その場を離れたのに再度この絵を見に戻った事、いづれも私にとっては初めての経験でした。

今日はこの若冲コレクションを所有しているアメリカ人ご夫妻が博物館に来てくれていました。
心の中でご夫妻に御礼を申し上げて満足して家路につきました。

仙台在住の方には心からお勧め致します。
本当に良かったです^^
また見にいこー

今変わらなければ明日も今日のまま

先週で私のギャンブルが止まって4年が経ち5年目に突入しました。

節目の度に過去を振り返ってみてしみじみと思い知らされる事があります。
それは、一度変化を志したのなら今やらなければいけない、という事です。
自身の4年を振り返ってみれば、今日変わらなければ明日も変わらない、というのが立証されてしまっていますから・・・。

時間の支配は容赦なく、何もしなくても年齢だけは確実に増えていきます。
一日一日終わりに向って進んでいっているのにそれを自覚することなく、大事な一日を無駄に過ごしてしまっています。
自分だけはいつまで経っても年を取らないのだと心のどこかではどうも頑なに信じているようです。
自分の行く先には時間は無限に続いているのだと、そう思っているようです。

このブログを書き始めてからも4年経っていますが、時間を巻き戻せるなら巻き戻したいと今も思います。
4年前に戻ってあの時から今志している事をやっていきたい、年齢が少しでも若い方が有利だしあの時から勉強を始めていれば今頃は・・・。

今はそう思っていますけれど、5年後10年後の自分が今の40時点の私に戻れれば、あの時からこうしていれば今はこうではなかった・・・戻れるならあの時間に戻ってこうしたい、ああしたい、とそう思うのかもしれません。

そう思ってしまう未来の自分は、今日できる事をしなかった自分を積み重ねた結果です。
今の自分は残念ながら、今日できる事をしなかった自分の積み重ね。
今日変わることを恐れ、変わることを明日に先延ばしてきた結果です。

そして先延ばしてきたその明日という日は無限にあるわけではなく、いつか目の前から消えてなくなります。
自分の未来はシビアに考えなくてはいけないですね。
自分だけは、という前置きをまずは取り払う事を忘れずに。
自己中心と一言で言うのは簡単ですが、ここまで根が深いと流石にウガッ・・・orzとなってきます。

今日一日、自分ができる事から逃げない事。
自分が出来る事、自分が出来ない事を自分で勝手に決めない事。
それが明日の自分、将来の自分の姿に直接繋がっていくのだから。

presented by 地球の名言

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よはん

Author:よはん
強迫的ギャンブラー よはんの備忘録
GAの事、自分の事、今考えてる事など徒然書いています。

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