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裸のおーさま

窓

見方が変わると発見できるものも変わる・・・かもね。


アル中さんもパチンカスもほんとに愛されない生き物なのだと、つくづく感じる。


現実を受け入れることができないこと。受け入れようとしないこと。
自分ではたいした努力もしないくせに、世の中でうまくやろうする。


視野が狭くなるから客観視もできなくなる。
他人から見れば何をバカやってんだかと直ぐに分かるが当の本人はそれが分からない。


他人を見てくわばらくわばら、俺はあーはなりたくないな、と思ってハッと気付く。
私を覗き込んでいる人がいる。


な・・・なんだ?その視線??その表情???
そんな含み笑いを浮かべた表情で、何故俺を見る!!


いるか
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見ざる聞かざる言わざる

dsc_8252-s.jpg

見ざる聞かざる言わざる。
「とかく人間は自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を、見たり聞いたり言ったりしがちだが、それらはしないほうがよい」という意味らしい。


『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節がある。
一説に、こうした「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろの天台宗を経由して日本に伝わり、その後猿と結びついたのだともいう。
wikiにはこう書いてある。


いっそのことあれだな、GAのハンドブックにもだな、平安の祈りをハンドブックの表紙に書いておくよりも、この写真を表紙にしておいた方がいーんではないか。
祈る事をしなくてもこれなら見ただけで分かる。


最近スリップ話が多い。
だからどうなんだと言ったところで、誰がどうなったとしても私には実害が無いから正直言えばどうでもいいんだ。
理由の無い結果は無いのだから、なるべくしてそうなったという事なのでしょう。

あと一歩だけ、前に進もう

いまだなにひとつ さまになってやしない
あいかわらずあのひのだめなぼく





私のギャンブルが止まって3年半。
止まっている期間が長くなれば長くなるほど感じる事があります。


強迫的ギャンブルという病気には自然治癒が無く、病気は今から見て最後のギャンブルからただ止まっているだけ。
ストップウォッチのごとく止まった時間を針が指したままで、次のギャンブルが始まったらそこから針が再び動き出すだけなのだという事。
ストップウォッチのようにリセットボタンはどこにもついてない。


ギャンブルが止まって半年。
病院を退院してアパートを借りて一人暮らしをスタート。
バイトも始め、GAでも初めて司会を任されたその日、母が私を訪ねてGAの会場に来てくれました。
縁を切られていたのでもう会うこともできないと思っていたけれど、このように訪ねてきてくれた。
バイトも昔お世話になっていた所を訪ねたら、また雇ってもらう事ができた。
自分の中で途切れていたものが再生をはじめていくのを感じた時、このままGAに繋がっていけば私は回復できるのかもしれない、と思いました。
このまま賭けないでいければ大丈夫、きっと大丈夫だと。


それから3ヶ月、ミーティングの会場も増やして自分がそこを主催して、賭けない一日を精一杯生きている自分の回復は、自分ながら磐石なものになりつつある、と思っていました。
そんなある日、街中を歩いている時に、辞めた会社で私の上司だった人が私のいる方向に歩いて来ているのに気付きます。
ここまでの賭けない一日で自分ながら思っていた事、ミーティングで話していた事。
「もし今まで迷惑をかけた人に出会ったなら謝ろうと思っているし、今なら多分それが出来ると思う」と私は考えていたし、仲間にも話していました。


そう思っていた、話していた人間が実際にそこでやったことは、上司の前まで行って謝る事・・・ではなく、上司の前から走って逃げる事、でした。
心臓をバクバクさせて逃げている自分がそこにいました。
私の、磐石なものになりつつあると思っていた回復の実際の姿とは・・・目の前の人から逃げることしかできないもの、でした。


いまだなにひとつ さまになってやしない
あいかわらずあのひのだめなぼく   ってな感じ。


その後私は12ステップに解決の糸口を求め、関東で開かれていた某研究会の集会に行きました。
12ステップについて調べはじめたその日から、その集会の開催日まで1週間もなかったように記憶しています。
仕事の休みとか、タイミングもたまたま(?)合っていたのでそのまま夜行バスに乗っていきました。
自分の中ではかなり切迫したものがその時はありました。
変わりたいと、そう思っていました。


運よくそこでスピーカーをしていた方にスポンサーをお願いする事ができ、11月下旬頃にはステップの手渡しを始めさせてもらっていたように思います。


ビックブックを使って医師の意見とビルの物語を読み終え、分かち合いをしていた時。
スポンサーの問題はアルコールだったのですが、その体験談を聞いているうちに私は不安になりました。
あんまりスポンサーが自分のアルコールの話を楽しそうにするものだから、私はその話を聞いているうちにギャンブルがしたくなってきたのです。
ああ、そういえばパチンコ楽しかったなぁ、スロット面白かったよなぁ・・・と。


・・あれ?
今ステップ手渡してもらっているんだよね・・・
止めたいはずなのに、どうして今やりたいと少しでも思ってしまったんだろう・・・
・・・
・・・もしかしたら本当は今もやりたいのでは・・・
でも・・・そう思ったらダメなんじゃない?
ギャンブルをやめたいという願いを持つこと、それがGAメンバーたる資格であって、私の今のこのモヤモヤはあってはならないのでは・・・


「私、今やりたくなりました。でもって、不安です。」
とスポンサーに言ったのは覚えています。
スポンサーがニコニコ笑いながら黙ってそれを聞いてくれたのは覚えていますが、どう答えてくれたのかは覚えていません^;
それが私の病気の正体だと知るまでにはそれほど時間がかかりませんでした。


それまでずっと思っていました。
賭けたいと思う気持ちが存在するのは真剣にやめたいと願っていないからだと。
それではダメなんだと。
でも自分の話をしているうちに止まらないギャンブルで過ごした苦悩の時間の記憶とともに、楽しかったギャンブルの事も沢山思いだしてしまいます。
3秒フリーズしたり全消灯したり、爺がハワイに行ったり、カヲルが画面に顔を出したり、そんな事を沢山思い出します。


どんなにひどいギャンブルをしてきたとしても、自分も周りの人たちもとことんまで壊してしまったけれど、それでも楽しかったギャンブルの事は忘れられない。
止まらないのがたまらなく辛かったけれど、それでも私はギャンブルが好き。
だから賭けたい気持ちが私から消えて無くなる事は無いのです。


それと同時にギャンブルをやめたい気持ちも、ギャンブルをしないで生きるために自分が変わりたいと思う気持ちも持っています。


人間の心は0と1で表現できるデジタルなものじゃない、二つの気持ちを併せ持ってもしょうがないのだと自覚しました。
だから私は自分でスリップは防げないのだと、ハンドブックに書いてある心理的空白、ビックブックに書いてある狂気、それには対抗する事は私にはできないのだと自覚しました。


とても不安になりましたが、諦めざるを得ませんでした。
だから今も執行猶予中だし、中休み中でしかありません。
そうすると今のアブスティナンスも文字通り、いつまで続くか判らないものに当然なります。
そして私がスリップしたら、次のアブスティナンスがいつ得られるのかも判りません。


賭けない一日がそのような不確かなものであるのならば、自分の人生が今後その上に築けるのかどうか疑問に思いました。
ただ・・・どうなのか・・・
半年の、そして8ヶ月のアブスティナンスが私にもたらしてくれたものは・・・
そして今、棚卸しやら埋め合わせやらに取り組もうとしているのはどうしてなのか。
不確かだけれども、その生き方に自分が魅力を感じている。
一日でも長く賭けない生き方は続けたいけれど、明日の保障は無いなんてなんか虚しいじゃん・・・


何だって因果な病気になったものだと、本当にそう思いましたし今も思います。
でもね・・・全てが意のままにならないのであれば、それはどんなに悩んでも考えてもどうしようもないこと。


・・・だったら。
いつまで続くのかわからないのであれば、今日くらいはそれを大事にしよう、いつそれが途切れたとしても後悔しないようにしよう、そう思うようになりました。
実際そう思うようになって自分なりにはステップを毎日実行して大事にしているつもりですが、どうもそれが効果があるようで。


自分の意のままにならぬアブスティナンスですが、それを大事にしようと努めているとそれは伸びていってくれるようです。
そしてその事実から考えれば、アブスティナンスを粗末に扱えば逆にいつか消えて無くなってしまうのでしょう。


そう思って過ごしてきて今に至っています。
たまたま頂いたアブスティナンスがここまで伸びてくれるとは正直思いませんでしたし、明日以降どうなるかはわかりません。
冒頭に書いた事、賭けない日が伸びれば伸びるほど、アブスティナンスを大事にするということは難しい事だと感じています。


だって自分の日常を過ごしていてそれはいつも感じるもの。
人との接し方、自分の態度、考え方、行動。
それじゃダメだよと、相手の態度や自分の行動の結果がそう言ってきます。


いまだなにひとつ さまになってやしない
あいかわらずあのひのだめなぼく(三度登場)


だから怠けちゃだめなのです。
日々続けるという事がとても大事。
でもそれが最も私の苦手な事なのです。


だから楽じゃぁないのでございます。
ただね、賭けない一日がもたらしてくれたものを私はもう失いたくは無いです。
それはとても魅力あるものだから、あと一歩だけ、前に進もうと、そう思わせてくれます。

勉強×3

タイトルは真似してみました(・∀・)

しばらくは終わることなき勉強の日々が続いています。
ある程度の将来像は持っていますが、一定以上のところまでステップが進んでいったらそこから先はその場に立ってみないと分からないのかもしれません。

どうして今頃になって勉強してるのかといえば、もともとの動機は自助グループの活動を続けていくために必要な経費分を稼ごうと思ったからです。
土日にあちこち動くためには金が必要になりますし、生活するための経費も必要だし、、借金返すにも金稼がなきゃいけないしで、何をするにも金が必要。

自助グループの催し事は土日が多いから、なるべくそこは休みがとれる業種でそれなりに稼げるところを…となってくると、それなりの会社員か公務員にでもなっていない限りは無理っぽな話です。
この年齢でこの職歴でこの病気で、となると探すのがもーたいへんなので、資格取ろうと、そういう結論になったのですが、職を探すより資格とる方がずっと大変なんだよぉ…という事に私最近気付きました。

実際私のやってやる~という気持ちと職を選ぶというのんきさがなければそれに見合った仕事はあるのだと思います。
それでも勉強して資格欲しいと思うのは、父や兄の影響が大なのでしょう。
勉強は面倒くさいし眠くなるけれど、やった分だけ理解でき、やった分だけ問題が解けるようになるから、面白いです。
やった分以上の結果は出ないという、ごまかしがきかないところも良いところ。
その辺はステップと一緒だ。

自分の記憶をごまかしても試験ではどうにもごまかせないから地道にやっていくしかないなぁ~
でも楽しい。
こういうの、悪くないものですね^^

仲間とはシンクロするものらしい

先週のうちのミーティング中の話。
大体皆てんでんばらばらに他愛ない話をすることがほとんどなのに、何故かみんな重たい一週間だったと口を揃えて話すものだから、仲間とは何とも不思議な縁で繋がっているものだとおもいました。
私自身も結構ダメージをくらった事があったので、それぞれに重い仲間の話を聞いているだけで救われる思いがしました。

スリップした話も出たけれど、まったくもって勿体ない。
アブスティナンスは授かり物。自分で産み出すこと決してできないのだから、大事に大事にしなきゃバチがあたるというか、そのまま帰らぬ人になる可能性は常にあるのよ?
だから大事にしてね^^

よく聞くのです、自分は滑ってもまたGAに来て止め続ける、正直に告白して仲間の力を借りてまた一からやり直す、みたいな話。
何をめでたい事いってんだかね。
せっかくの授かり物を大事にできないその高慢さ。

おごれるものは久しからず
ただ春の夜の夢のごとし

中休みを頂いているだけなことを忘れると、ほんとに春の夜の夢みたいにあっという間に消えてなくなるよ。

意義・目的を紙に書いてみる

今日は(も)脳内垂れ流し。

棚卸しの如く、頭の中でぼや~んとしているものは紙に書き出してみるとすっきりする。
●医療はギャンブルの問題を持つ者に対して一体何が出来る?
自助グループに行くよう指導する事が医師に出来る事なのか?
医師って一体何をする人なのだろうか。
ギャンブルの問題をもつ者に対して医師にしか出来ない事って一体なんだ?
医師にしか出来ない事、それ私達にとっての医師の存在意義だと思うのだが。

●集いやセミナーの意義
それぞれのセミナーや集い毎に自分たちが何をしたいのかを決めてから動く。
それが決まれば温泉に引きこもって分かち合いをするとか、交通至便な場所で大きめなホールで講演をお願いするとか、喫茶店でぐだぐだ喋ればいいとか、それならばクローズにしよう、だったらオープンにしよう、などといったビジョンが浮かぶ。
八百万的にあれもこれもと欲張らない。
やりたいことを紙に書く。実現するために必要な事を考えてやはり紙に書く。
そうやって書き出された結果はシンプルなものになるはず。

でもそういったことを考えないで適当に物事を決めると訳がわからない意見が出てくる。
理由もなく、集いはクローズじゃなきゃダメだとか、セミナーには講師を呼ばなきゃダメだとか。
だったらどうしてクローズじゃなきゃダメなのか、最初に決めておけ。
自分たちは繋がりたての仲間達に一人ではないことを心から感じてもらいたいから、泊まりがけでクローズの集いを開催したいのだと、その意図を明確にする。

自分たちはこの講師のこの経験談が、ステップ1を仲間に伝えるのにとても有効だと思うから、この講師に話をしてもらいたいのだと、だから講演料や交通費を払ってでもその人を呼びたいのだと、その意図を明確にする。


主張が何も感じられない、今までやってきたことをただ踏襲して開催すればそれでよしとするようなセミナーや集いは、いずれ私達自身にグループ存続の問題として返ってくるでしょう。


回復並びに一致のためのプログラムは私達に常に考える事を求めていると思います。
考えて物事を実行していく事には、自ずから責任が伴っていきます。

考えない人は成長できません。回復なんてできません。
「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力をもった原理がある。
それは調べもしないで頭から軽蔑することである。」


presented by 地球の名言

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よはん

Author:よはん
強迫的ギャンブラー よはんの備忘録
GAの事、自分の事、今考えてる事など徒然書いています。

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