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年度末でいそがっしっす

どちら様も今日明日は年度末でお忙しい事と存じます。
私は期限が切られている契約社員の身でありますが何故か超てんこ盛りの仕事を頂戴しておりまして只今死ぬほど忙しいでございます。
明日で一区切りが付くのですが、新年度になったらなったでやっぱりてんこ盛り盛りの仕事がまっているようであります。
なんやかんや、いそがっしっす。


受験予定の試験は5月で合間見ながら勉強中ですが、うーん、、、未だに正弦定理を応用した計算の仕方がいまいちよくわからん。
文章問題はある程度解けるようになったというか基本丸暗記でいっていますので、覚えた分だけ答えることが出来るのですが計算問題はちょっとそうはいかないようで。。。
これも基本は公式丸暗記なんですけどねぇ。。。
今までの私の生き方に「数学」というか「算数」という文字はなかったのですよん。
(数に強ければ多分こんなに借金こさえることもなかったような気がしないでもないが。。。)


中学生??、高校だっけか?? ピタゴラスの定理って習ったのは?
あぁ・・・、あの時もう少し数学を勉強しておくのだったなぁ。。。ううう。。。


んと、ここで話は大きく脱線して。
↓の動画3つ。
全部同じ曲を演奏しているのですが、指揮者が全て違います。
宜しければひとつの動画あたり約3分と短いので3つ全部見比べて見て^^









クライバー、やっぱりかっこいいです。
この人のお父さんも高名な指揮者だったのですが、どうやらこの親子は漏れ伝え聞くところによれば随分めんどくさい関係というか、感情の表現とその伝え方がどうもかなり下手だったようです。
あくまで私の個人的な推測ですが、そのめんどくさい親子関係からクライバーはAC要素を色濃くもっている感じがします。
カルロス・クライバーは人気もものすごくあったけれど、コンサート当日に気が向かなければ演奏をキャンセルしたりするなど相当な気分屋さんだったらしい。


しかしこの人の指揮は素人目にも何だか違いがわかるもんね。
なんか見ててこの人の指揮は面白い。
他の指揮者からは感じない何かがこの人から出てるんだよねぇ。


天才ってやっぱりいるんだなぁ、と改めて思った次第。


さて、普通に人になりたいと願っている私は、明日のために今日ももう寝なければ。
でわおやすみなさいノシ
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感じるままに。

今までも幾度と無く読んでは読み、を繰り返してきたある青い本。
70年以上も昔にめりけんで書かれたその本を読んでいると、まるで昨日の自分の思いや行動をそのまま書かれてしまった・・・と思ってしまうところが沢山ある。
しかもそう思ってしまう部分は常に同じ部分ではなく、自分がその本に目を通す度に、読む度に変化する。


ビックブックを使って自分もプログラムを手渡してもらったのだけれども、そんな事はすっかり忘れ、自分が受け取ったものを相手に手渡せるかどうかは全て自分の力量にかかっている、いかに回復のためのプログラムを手渡すことに長けているか、その伝え方をしっかり勉強しなければいけない、とそう思っておりましたが。


70年前の本に、ビックブックに、私は到底敵わない。(当たり前なんですけどね^;)
読んでいるだけで、私が何もしないうちにもう一方の読み手に何らかの変化が現れたとしたら、私は何もしなくてよいものね。というか居なくておkじゃん。
読んでいる人はビックブックのどこかの部分に共感した。
その共感が大か小か、それは本人にしかわからないけれどそこから変化がすぐに現れた。
多分読んでいる人の天の岩戸が動いたんだろうな。



共感がなければ何をしても無駄なのである。(BB)



書いてある通りに、70年前の本がその力を静かに発揮しました。
多分、私がここはこーで、そこはあーで、あーだこーだと言っていたら、共感は多分得られなかっただろうと思います。


手渡し方や小手先云々よりまず先に、これは私のはーとが問われている。
感じるまま、思いのまま、なんだろうな。。。
大きく見せず、等身大で、ほんとに身の丈の自分で、それでいきましょう。



ここ最近、仙台も結構暖かい日が続くようになりました。
とはいえ急に吹雪いたりもするので春までまだ少し・・・といった感じですが。
去年の記憶がまだ残っている3月という月は早く終わって、早く4月になってほしいな。
私は桜の花はあまり好きな方ではないのですが、何故か今年は綺麗な桜が早く見たいなぁと思っています。


↓これは秋バージョンのものですが、最近これの春バージョンがNHKで流れています。
秋にこれを聞いていた時はうんうんってな感じで軽く聞き流していたのですが、春バージョンのこれを見てたら何でかポロポロ泣けてきまして。
弘前・角館から五色沼まで、何だかそんな風景と塩竈&一関のじょしこーせー達の綺麗な声を聞いていたら、やっぱり何回見ても泣けてくる。
なんつーか、俺ってやっぱり東北人なんだなぁ、とそう思いましたがな。




春ver.の歌詞はこんなん。
風はきっと優しいから 今を柔らかく包み込んでくれる
過ぎる季節 少しだけねぇここにいて 君にあったら何を話そう

人に物事をお任せする、という事は。

あー、今日は疲れました。。。
午前中ミーティングやって、午後から隣県で東北の集いの打ち合わせをして家に帰る。
それだけの事なのですが、私の不注意から問題が起きてしまい、やらなくてよいことまでしなくてはいけなくなりました。家についたのはつい先ほどです。
夜ご飯もご飯を炊く気力が無く、焼きうどんを作って今それを食べながら記事を書いております。


ってかさ、金曜に私は電車の時間とか全部調べておいたのよ。
この電車に乗ればこのくらいに駅に着くから歩いていってもまだ余裕あるな、って。
金曜の夜に実家でご飯食べながら見てたテレビでそういえばやってたんだよねぇ。。。
ありがとう300系、とか、さようなら日本海とか、駅にわんさか鉄ちゃん達が集まってカメラパシャパシャしてたんですよねぇ・・・


まさか私が調べて乗ろうとした電車が、昨日のダイヤ改正でGWのみの期間運行に格下げされた・・・なんてさーーーーー
そして帰りの電車も調べたつもりが、何でか時間になっても来なくてさーーー
しょうがないから40分もホームで待ってて各停に乗って帰る羽目になってさーーー(←これはJR悪くないけどね)


↑の行きの電車に乗る前までホームグループのミーティングに出ていたのですが、会場でお借りしているロッカーの鍵を持ったまま私電車に乗ってしまったものだから、ロッカーを施錠することができず、貸与品のその鍵自体も返却できず・・・で、本日無理を言ってミーティングの司会をお願いした仲間に迷惑をかけてしまいました。


今頃私が焼きうどんを食べているのは、目当ての電車に行きも帰りも乗れなかった(行きは関係ないような気がするが)&仙台に戻ってきてから会場に行って鍵をお返ししてきたから、でした。


さて、前々回くらいに輪番制とアノニミティ云々について記事を書いたのですが、今回はそれに少し補足しての垂れ流しを書いておきます。


うーんと、まずは人に物事をお願いする、という事なのですがこれは凄く難しいっす。
サル山の大将でいる限り、多分無理でしょうね。(上から目線^^!)
ここでもね、輪番制とアノニミティ、顔を出してきます。


一回でも持ったもの(もとうとしているもの)は大事に手元においておきたい、手渡したくはない、っていう事です。
それが自分の野心や虚栄心を満たすものであっても、愚痴を言いたくなるような煩わしいものであっても、ある程度の権限と同時に責任を伴うものであっても、そういったものは手放したくない、というのが私の中には確かにあります。


会場の鍵開けをしていた時の事、前々回の記事で書きましたけれど、あれなんかまさしくそうだしね。
で、あの時は書いてなかったけれどね、あの話にはまだ続きがある。
もし、私の代わりに誰かが会場を開けてくれる事になったとしたら、私はその人に対しどう振舞おうとしていたかわかります?
手取り足取り私が色々その仲間に教えてあげて、仲間に自分が頼りになる存在なのだと思わせて、何かあれば私に相談がくるようにしむけ、「よはんのサル山」の影のボス猿になって、影響力をいつまでも行使してやろうと思ってましたよ。


私のどす黒いもの、見えてきましたか^^(笑いながら言うものではない)


人にお願いする振りしてね、ちっともお願いするつもりなんてないんですよ。
俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの、なんですわ。
病人の集団でしかないところでその上にいつまでも立っていたいと思うんですから。
一体お前は何をしにGAにいってるんだ?、ってね。


人に物事をお願いするという事は、人にお任せするという事。
お任せするには自分が今掴んでいるものを完全に手放す必要があります。
でなければお任せすることにはならないのです。
信じて、委ねて、お任せする、っていいますけれど、文字順の通りでいけばお任せする前に、まずは信じること、そして委ねることが必要になります。
信じなければ委ねる気持ちにはなれないし、委ねる気持ちが持てなければお任せすることなんてできません。


1から12までステップの並びの通り、これも順番に踏んでいくものと思います。(ほんとにえらそーに書いてるけどさ?これを今書いている本人は・・・どうなんだかねー・・・)


つーわけで、人に物事をお願いする、っていうのは難しい事です。
で、仲間の姿は自分の写し身、鏡姿でもあります。
仲間の姿を見て、そこから何かを感じ取ったのだとしたら、その仲間は多分ね、今の自分の最もダークな部分を、隠しておきたい自分の本性を、写しているのだと思いますよ。
だからね、私たちはお互い同病の身なのだから、常に「相身互い」の気持ちを忘れてはいけないのです。


12&12のステップ11の章にはある方の祈りが載っているでしょう?
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、
私が求ますように、と。


相手に物事をお願いして欲しければ、まず自分から相手に物事をお願いする。
この世はギブアンドテイク、ですよん^^(最後まで超上から目線!)


さて、上から目線でここまで書いたので、よはん山の大将としては気分がいいのですが、こういう事を延々ここで書き連ねていると、あいつはめんどせー、超めんどくせーと皆さんに思われて、だれもこのブログを訪れてくれなくなってしまいますね・・・。


・・・



・・・・



(´・ω・`)



口にチャック、ペンにふたしよ!!








(-人-) ~お陰様の気持ち~

あの日から後わずかで一年を迎えようとしています。


最近テレビでもネットでも新聞でも一年前の3月11日の事を取り上げていますので、何もしていなくてもあの日のことを思い出してしまいます。
私が住んでいる仙台市は南北に短く東西に長い市域を持っていて、仙台市の西端は山形県にそのまま隣接、東端は津波の映像の通りで仙台湾・太平洋にそのまま面しています。


私が居住しているところは仙台港から15キロ以上の内陸部。
3月11日当日のあの時間の記憶は、とにかく強烈な揺れ、それしかありません。
またそのゆれがいつまでも続くので、このまま揺れが収まらないのではないかと思っていたほどです。ゆれていた時は私の屋内で道路への出入り口の戸を開けたまま、その状態で私は揺れがあまりにひどくて動けなくなったので、このまま天井抜けたら、俺死ぬなー・・・と思ったのを覚えています。


あの日からしばらくの間、ライフラインが全て絶たれた状況で過ごし、ラジオのニュースが唯一の情報源。
当時の首相の菅さんの声明もラジオで聞きました。
それからほどなくして電気が復旧して、テレビから映像情報を得ることができ、あまりの被害に呆然としました。


去年の7月に今の会社に入社して、津波到達エリア内に存在していた会社設備の滅失調査で被災地域を自分の目で見ることになりました。
北は気仙沼から南は亘理まで調査に行きました。
どこに行っても景色は同じ。瓦礫の山と廃墟の中を沢山のダンプが走り、沢山のユンボが瓦礫の山で稼動している、そんな景色がどこまでもどこまでも続く。


そして仙台市でも東と西では全然状況が違う。
私はあの日、たまたま津波を被らない地域にいたから難を逃れることができただけ。
たまたま建物が崩れなかったから、助かっただけ。
家族がいてくれたから、何とか生活することができただけ。
家があったから、雪に凍えることなく布団で寝ることができた。


善・悪の区別無く、あの日あの時、自分はどこにいたか、ただそれだけの事で生死が別れ・・・。


津波被災地と、今は何事もなかったかのように時間が過ぎていてる仙台の中心部を私は業務でいったりきたりして、7月以降ここまで半年間、随分と虚しさとやるせなさを感じました。
でも津波被災地で生活を再建しようとしている人達の姿を見ると、あー、頑張らなきゃだめだ、と何を頑張っていいのかもわからないくせに思ったり、何も無い廃墟の中を子供達がランドセルを背負って笑いながら登下校している姿にとても励まされたり。


何回かここでも書いてきましたが、人の営みの無常、私たちが過ごしている日常の脆さと、とにかく何が何でも生きていこうという人の生存本能の逞しさ、それを感じました。


明日は去年の地震発生の時間に合わせて手を合わせてお祈りいたします。
あの日被災された全ての方々へ対して、亡くなられた方も、今を生きている方へも、どうか心の平安が得られますようにとお祈りいたします。


さて・・・
今愚痴を言えるのであれば、愚痴を言えることに感謝。
生きていなければ、そして愚痴を聞いてくれる人がいなければ、愚痴は言えません。
誰かや何かに対して面白くないと思うことがあれば、そう思えることに感謝。
これも生きていなければ、面白くないと思う相手がいなければ、そうは思えないのだから。


この間、私が今のアブスティナンスを得てから三年のバースデイを迎える事が出来た時にも思ったことだけれども。
私のギャンブルはたまたま家のお金を盗んだことがばれてたので止まった。
もしあの時ばれなかったら、今どうなっていたかなんてわかりもしない。
もしあの時ばれていなくて次の日もパチンコ屋に・・・、なんて思ったら怖くて怖くてたまらなくなった。


地震から助かったのも、ギャンブルが止まったのも、それは両方とも一緒。
たまたま、私は助かったし、止まっただけ。
ギャンブルは随分自力で止めようと頑張ったけれど、どんなに頑張っても止まらなかった。
でもあの時、私は止めようという気があまり無かったにも関わらず、本日までギャンブルが止まっている。
去年の3月11日におこった激甚災害は、それこそ自分ではどうしようもない。
たまたま、本当にたまたま生き残ることが出来た。


ただね、自分が今生かされている、という事に対して心から感謝します。
今私が過ごしている日常が、どんなに望んでも得られることができない(できなかった)人が沢山いる事を忘れてはいけない。
去年のあの日を自分の力で生き残ることなんて、到底無理。
そして強迫的ギャンブラーである自分にとって、自力でギャンブルを止めることもまた不可能な事。


今の日常を送れていることに、心からお陰様。
日々、感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいです。

輪番制とアノニミティと失敗と。

さて、本日も思いついたことを垂れ流し。


私、昨年に初めて開催したGAの東北の集いで幹事役をやらせてもらいました。
東北の集いは、日本各地のGAグループがそれぞれの地域グループ(例えば北海道だったり中国地方だったり)で一同に集まってワイワイガヤガヤとやっているのが羨ましくて始めたもの。(と私は思ってる)


会場押さえたり当日のプログラム考えたり、参加費どのくらいにしよう?とか宿泊者を大体見込んで仮で施設の予約取ったりとか、結構色々やらせてもらいました。
でもワタクシ、根っからの強迫的ギャンブラーなのでほんとに集い直前になるまで、「まぁだ、大丈夫だべぇ~」と高をくくって全然動かなかったのですよん^;
夏休みの宿題と同じく・・・なのですが、もっと早くから色々と動いておけばよかったなぁ、と2週間くらい前に切に感じました。


去年の集いで参加者の方々に余裕をもって当日のご案内ができなかったのは私の怠慢によるところが非常に大きいです。
今更ながらですが、参加してくださった皆様、ごめんちゃいm(_ _)m


無事に開催することができたのは東北各地の仲間達の献身的な協力と、私たちの初の試みに対してまだ震災の爪あとも生々しい時期に「参加する」という行動で示してくれた遠方の仲間達のその男気&女気のお陰でした。
こちらも今更ながらですが、参加してくださって皆様、ありがとうございました^^


未成熟な状態からスタートした東北の集いですが第2回も開催されるようですので、とりあえず去年色々動いた身としてはその事を嬉しく思っております。
昨年の趣旨は仲間とダラダラぶっちゃけトークをしまくりたい、でしたのでクローズドで開催にしました。
事前に他の団体に共催とかいう事も全然考えず(私個人は、です)、余所者いれねーでうちらだけでドンチャンやろーぜぃ(・∀・)(100%私個人だけの考えです)、とハナから思ってましたので^;


実際にね、とても楽しかった。
とてもとても楽しかった。
でもね・・・
ここにそれぞれの家族がいて同じ時間を共有できたら、本人だけの集まりよりもなんかとってもいいだろうな~、とそう感じました。
私のただの直感ですので根拠は薄いのですが、家族と一緒の方が絶対にいいな、と思ったのです。



回復のためのプログラムを踏めば、私たちは自分の中にある赤ちゃん神様を育て始めます。
始めは寝てばかりいたとしても、いずれその赤ちゃんはハイハイを始め、つかまり立ちをし、そのうち歩き出すようになるでしょう。
私たちが霊的に成長していくたびに、自分の中のハイヤーパワーは成熟していきます。
それがアブスティナンスが私たちにもたらしてくれる回復であり、生きる喜びなのだと思います。


私たちの回復に段階があるように、ラウンドアップやセミナーにも習熟の段階があるはずです。
立っている場所が変化すれば見えるものもまた変わってくるでしょうから、その時々の視点にあった行動がとれるよう、ラウンドアップやセミナーに対しても個人と同じく棚卸(趣旨や目的、実際に行っていくこと)をして行くことが望ましいでしょうね。


さて、垂れ流しの内容は大きく変わりまして、輪番制とアノニミティという事についてちょっとだけ書いておきたい。
あるNPO法人の方が漏らしていたのですが、私が今まで全部やってきたものだから人が育たない。後継者が育ってくれない。全部一人でやってはいけない。人に任せなければだめなんだよ。と言われていました。


私、GAの中で会場チェアマンの役割を一年以上つとめていたことがあります。
会場開ける人が他にいなかったといえばそうかもしれませんが、私自身、会場を開けることを人に任せる気はありませんでした。
自分が開けなければいけない、雨が降ろうが槍が降ろうが(降らない降らない)、体調悪かろうが何だろうが兎に角会場を開けるのは私だけの役目と思ってやってきました。


人は行動を見てその人を判断します。
仲間からその私のその行動自体は悪く思われた事はあまり無いというか、彼らから一目置かれていると、彼らの言動と態度を見て私は感じています。
気分としては非常に悪くありません。というかサル山の大将の気分、私大好き。


なので仲間が会場を開けてくれないことに愚痴を言いつつも、私はその権利を手放そうとはしなくなります。
私がその会場を開け続けている限り、ボス猿で居られるわけです(と私は思っていたのね)
どの世界でも一緒なのかもしれませんが、その場所にそれなりに居続けている人には、他の人に対して良くも悪しくも影響力を発生します。
私、何か・・・


可能な限りここに繋がり続けたい、GAでの自分の居心地を良くしたい、そう思うのであれば自分はどうすればよいのか、自分の行動を省みつつ周りの反応を肌で感じ、結構凹みを感じた時もあり。


その会場は既に閉めて今は会場の開け閉めはしていません。
ただね、まだグループに繋がって3年経っただけの私でさえも、ビジネスとか意見を言える場所で何かいってしまうと、あまり反対の意見が出なくなってしまう事があります。
昨年の東北の集いの準備を色々していた時に、ワタクシかーなり出しゃばって、あーだこーだと高説たれてた+何かあればすぐでしゃばるものですから、その結果がこうなるんだな、と痛感しています。


前にここでも書いたかもしれませんが、私がたまたま司会をしていた時の事です。
うちのグループではミーティング途中でいつも休憩を取るのですが、事前に決めておいた休憩時間を過ぎてもほとんどの仲間が喫煙所から戻ってこず、私は頭にきてその時間にその場にいた仲間達だけでミーティングをスタートさせた事があります。


半分もメンバーがいない状態で先行く仲間に話をしてくれるようお願いしました。
人がいなくて寂しいなぁ~、といいながらもその仲間は話を始めてくれたのですが、話し始めてしばらくしたら喫煙所から仲間達が戻ってきました。
みんな談笑しながら戻って部屋に入ってくるのですが、仲間が話している姿を見てビックリして慌てて席に座り始めました。
ただ喋りながらミーティング場に入ってきて慌てて席に戻るものですから、結構な音が出てしまいます。
話してくれていた仲間もそれで話すのを止めてしまいました。


私は今はタバコを吸わなくなって1年以上は過ぎたのですが、タバコを吸っていた時は仲間と喫煙所で過ごす時間が最高に楽しかったのです。
それこそミーティング以上、みたいな。
時間ぎりぎりまで喫煙所にいて慌ててミーティング場に戻る、という事をよくよくしていたのはこの私でした。


私が休憩時間を決めたのは仲間が話す時間を確保するため。
で、仲間が時間になっても戻ってこなかったのでいるメンバーだけでスタートさせた。
みんな話している最中に戻ってき始めて、話している仲間は話に集中できなくなった。
結局は仲間は話しを途中で打ち切ってしまい、私は仲間が話す時間を確保するどころか、まったく逆のことを結果として行ったわけです。


GAのミーティングでは時間を守ることが大事なのか、分かち合いをする事が大事なのか。
ここにいるのは全員病人、相身互いの気持ちを持っていなきゃだめなのです。
司会の仕事は円滑にミーティングを進行させる事なのだから。


たかだかこれだけ。。。のことなのかもしれませんがこれは私にとっては痛い出来事でした。
ミーティングの最後、自分の番になった時にその場にいた方全員に謝りました。


これ以降、時間を過ぎても仲間が戻ってこない度にこの時の事を思い出します。
以前はその度に「時間を守る気が全く無いやつらだ」とイライラしていたのですが、ま、多少だからいいや、と。(対して変わってないか。。。)
実際仲間が戻ってくるのは時間を過ぎてから1・2分程度が大半なのです。


私は現在39歳です。
物心付いてから本日まで、実に色々なことがあったけれど、今でもしっかり覚えているのは失敗した事、それだけは覚えています。


プログラムを踏んでから実感したのですが、私の場合、失敗してはじめてあー、これ変えなきゃダメだ、これではダメだ、と思うようで、失敗しなければ(人にばれなければ、も含む)上手く行かなくても波風立たなければそれでいい、となり、そのまましれっと生きてます。


プログラムを踏もうと思った時も、埋め合わせするつもりだった人が目の前に現れた時、頭を下げるどころか走って逃げた自分がいたから、でした。。。


さて、話が随分飛んでしまったけれど、GAの様々なサービスの役割に付いているとそれだけ色々な物事にチャレンジする機会が与えられます。
ここまでの話の流れ的に言えばね、失敗できる機会がいっぱいあるってことです。
私的には・・・とは言ったものの、失敗は成功の母、って言葉があるくらいだから、失敗は変化への大きなチャンスの時。
その機会をね、まだ経験していない仲間に渡してあげましょう。
その恵みを受け取った仲間は、まだ受け取っていない仲間にその恵みを譲りましょう。
それを行っていくと全体の福利となってそれが私たちに帰ってきて、GAが次世代にもしっかりと残っていくと思います。
前出のNPO法人の理事が言われていたこと、この事だと私はそう思っています。


輪番制って、そういう事をいってるんではないかと。
アノニミティってそういう事をいってるんではないかと。
人に譲る、デシャバラナイ、失敗する自由もまた静かに見守る。
自分がやりたい間は自分に出来ることは全て行いたいと思う。
ただ、人の命には限りがありいずれその役目は終える。


自分が無償で受け取ったものは、やはり無償で次の人に手渡していかなければ・・・ね。


presented by 地球の名言

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よはん

Author:よはん
強迫的ギャンブラー よはんの備忘録
GAの事、自分の事、今考えてる事など徒然書いています。

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