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お任せした方が何だか楽チンだ。

今日で年内の業務が終了しました。

業務については今日するべき事はやることが出来たので、気持ちよく事務所を後にする事ができました。

今の職は雇用期間が限られている仕事とはいえ、年末年始に無職ではないことにとにかくホッとしています。



日常の支払いにあたっては、母から借り入れをすることができたので当座を凌ぐ事ができました。

私の債務は増えたものの何とか2010年を越す事できそうです。

しかしながら、生きていくって事は何とも難儀なものですね。

周りの力で自分が生かされている事を、改めて…というか今年は何度も何度も何度も何度も気付かされました。

諦めが悪い私なのですが、一生懸命我を張っていてもそのせいでご飯が食べられないのではどうしようもありません。

全くもって「生きていくことがどうにもならなくなった」のであります。

いろいろな事を諦めざるを得なかった私の2010年でした。



でも不思議なものです。

私がいろいろな事を諦めた分だけ「世の中」という場所で私の呼吸がしやすくなってきました。



金欠が激しい状況&一人身ですので、「ひもじいよぉ~、ピーピーだよぅ~、ざびじいよぉ~」とストレートには言いませんが(いや、言ってるか?)、それを見かねてなのかどうなのか・・・

家族からも仲間からも職場の同僚からも大量の救援物資を頂きましたし、先ほども頂いてきました。

そしてその救援物というものは物だけではなく、移動手段の提供だったり、会話だったり、お茶したり、食事したり、だったりします。

救援物資自体も大変ありがたいのですけれど、一番心にずっきゅ~んときたのは相手方の気持ちそのものです。

哀れみとか同情とかの心情でも気にかけてくれるだけで私全然嬉しいのですが(笑)、それよりももっともっと大きい気持ちをその度に私は受け取る事ができました。



そうやって人の情愛を頂くようになってみると、多少なりでも心の平安というものを感じられるようになってきました。

それは今自分が置かれている状況において、静かに心が満たされていく、とでも言えばいいのか・・・。

現実というものに対して、以前の私よりもそれを認識し始めた、という事だけなのかもしれません。

でもそのお陰で、マイナス人生ってやつもそうそう悪いものではない、とそう思えるようになってきました。



何事にも私の思い通りにはならないのですが、私の思い通りにはならなくても様々な物事は何故か解決していきます。

どうも我を張って色々こねくりまわそうと頑張ってみても、結局はただ自分が疲れてしまうだけ、のようです。

何かにお任せしてしまう、のがやはりよいようで。



自分なら大丈夫、自分なら何とかできる、だから何かを信じたり頼る必要も無い、とそう思うよりは、

自分には力がない、だから力を持っている何かを信じたり頼ろうとする、そう思った方がどうも遥かに楽に生きていくことができるようです。

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年内のミーティングは終了。

今日でホームGの年内のミーティングは全て終了。

来年は1月5日からスタートです。



今年も多くの新しい仲間がミーティングに来てくれて、そしてそのほとんどがそのままGAを通り過ぎていきました。

今週もビギナーが来てくれましたが、次回以降来るか来ないかは次のミーティングにならないと分かりません。



今年私が実際に会って話を聞いた多くのビギナー達。

彼らがGAに求めているのは

「自分はギャンブルを止めたいのではなく、何とかギャンブルを続けていくためにはどうすればいいのか」という事。

これは私の個人的な主観ですが、彼らの話し方や態度、表情からそのように思っています。



でもそれが普通。

最初から「止めたいので何とかしたい」というビギナーは、自分の約2年間の拙い経験からいけばかなりの希少種のビギナーになります。

「諦めの悪さ」はこの病気の証のようなものですから、諦めの悪いGA候補生はまず未来のGAメンバーになるでしょう。



私が最初にホームGのミーティングに参加した時もそのようなものでした。

藁にもすがる、というような気持ちは今思い返してみれば無かったです。

過去そのようなことをこのブログで書いていたかもしれませんがそれはウソ。

ギャンブルがとりあえず止まったものの、頭は真っ白けっけで何をするにもめんどくさく、他に行くところもないから行ってみよっか、程度のものでした。



自分と同じような事をしている人がいるもんだ、でも自分とは何かが違うのではないか、そう感じた1回目のミーティング。

仲間の話は聞いても私の頭の中は真っ白けっけのままでした。

そんな状態で2回目以降もミーティングに行く事が出来たのは、今思い返してみれば運以外のなにものでもなかったです。

私は幸運でした。



ブログで以前書いたかもしれませんが、今はビギナーが来た時には通常ミーティングに先駆けてビギナーミーティングを開催しています。

内容はホームGのメンバーの何人かに「自分のギャンブルの事」、「GAに繋がったいきさつ」、そして「今の自分はどうなっているか」、という事を話してもらっています。

その話を聞いてもらった後に、ビギナーの方に話をしてもらっています。



仲間の体験談がビギナーの耳にどう聞こえているかはわかりませんが、私達に出来る事は彼らにメッセージを運ぶ事。

そのメッセージは、ギャンブル依存症という病気の本質は何であるのか、そしてこの病気からは回復出来るという事実、その2点です。

そのくさびをビギナーの心にどこまで打ち込む事が出来るのかは私達の回復次第という事になります。



無償で自分が受け取ったものは無償で仲間に手渡す・・・。

いやはや。タダほど高いものはねーな。

メリークリスマス



コメントしやすい記事をあげて欲しい、というご要望にお応えして今回は般若心経はやめてっと。


今日は昨日までの予定であれば、仕事から帰ってきたら予め作っておいたカレーを温め直し、それを食べながら独り寂しくクリスマスイヴを過ごすはず…だったのです。
んでもって昨日の夜、母がイヴの夜にあった予定をキャンセルしたから実家に飯を食べにきなさい、というありがた~い指令があったので、今日は仕事が終わってから実家に行ってきました。


それで実家に行ったら魔の3歳児がそこに居りまして…。
ホントにめんこいんだけど、まじでめんどくせー姪っ子。
そのまま退散しようかとも思ったのですがそういう訳にもいかず(笑)


姪の相手をしようかとそう思ったら、
私の兄夫婦が、兄の家で母と私も一緒にクリスマスしないか?(意味不明な言葉だけど)とお誘いあったけどどーする?と母が私に聞いてきました。
断る理由は何も無いので一緒にご飯を食べる事に。


兄も母も私が以前住んでいたマンションに住んでいますので、母宅から兄宅への移動は10秒程度。
兄と会うのは大体実家でしたので、久しぶりに兄の家にお邪魔して来ました。


3歳の姪っ子+半年の甥っ子+兄夫婦+母+私。
5人以上の家族でご飯食べるのはかなり久々。
ご飯も美味しかったけれど、家族の心配りが私はとても嬉しかったです。


家族とのぶっちゃけトーク、私がこの病気になってGAに繋がって、そして今のアブスティナンスを得る前にはした覚えがほとんどありません。
自分の事を話す、そして家族の話を聞く、という事がほとんどできなかったのが私。


今のアブスティナンスを頂いて、少しずつそれが出来るようになってみると…。
^^

本当にね、
どうして今まで話す事ができなかったのだろう?
どうして今まで聞く事ができなかったのだろう?
自分の生き方ってのがここまでどれだけ息苦しいものだっただろう?
家族と話しながら、子供たちと遊びながら、そういう事に思い至りました。


姪っ子も甥っ子もね、こんなに可愛いと私が思うようになるとは思いませんでした。
(もちろん悪魔の面もたっくさん持ってるけどね)
大体子供がいるだけで、私はもうその場から離れたくてしょうがなかったのです。
でも今は二人の顔を見ると、それだけで自然に顔が綻んでしまう。
不思議なものです。


この子達がこれから成長していく中で、私はこの子達の話を正面から聞く事ができる人生を歩んでいきたい。
家族の中でも自分に与えられた役割を果たしたい。
前にもそう思ったことがありますが、今日もそう思いました。


回復の過程というのものは十人十色。
回復の環境のまた人それぞれ。


私の場合に限っていえば、家族が居てくれなければ回復など有り得ません。
今こうして生きていられるのも家族のお陰です。
私に与えられたこの環境、本当にありがたいです。


帰り間際、恥ずかしがっていた姪っ子からちゅーされて帰ってきました^^


はるばる北欧からサンタさんが、ウン十年ぶりに私のところに今日来てくれたようです。

般若心経

お釈迦さんはずっと長いこと苦行をしていた。
けれども六年経っても、一向に何も変わらない。

ある日ついに、こんなことをしててもしょうがない、これはきっと方法が間違っているんだ――― と気づくんです。
コレは大事なことですよ。

皆さんも何かを一生懸命していて、いつまで経ってもダメな時は、方法が間違ってるんじゃないかと考えた方がいいですね。



「空」―――ものがあっても、それを認識しなければ、ないと同じこと。
欲望は心が感じること。

心がなければ欲望はないわけでしょ。

人間には常に心がある。
心があるから悩む。

心がなければ悩まないし、人と比較したりしないでしょう。
「隣の亭主の方がうちのより稼ぎがいい」とか、そういうのは心がなければ感じないこと。
心があって比較するから、もっと金持ちになりたいとか、もっといい格好したいとか、悩むんですね。

その煩悩を絶つこと。そうすれば苦がなくなる。悩みがなくなる。



無心になるという言葉があります。

赤ん坊は無心だと言います。

座禅をして無心になる。

写経をして無心になる。

無心になるには何かに熱中して三昧になればいいといいます。
なにか一生懸命に打ち込んでいる時は、それ以外のことは何も考えていない。
その時、心はないも同じ
です。

色は空に異ならず、空は色に異ならず。


全ての現象はないと思えばないし、あると思えばあるのです。

心が認めればあるし、心が認めなければないのです。



ものという因があっても、それを見たり、聞いたりする条件の縁がそわなければ、結果としてのものがないも同然だと言うことです。
ですから「空」は「ない」ということだといえますが、「ある」ともいえるのです。
「ない」と「ある」の両方の性質を持ったのが空なのです。



私達は、形ないものを形あるものとして執着し、煩悩に振り回されて、四苦八苦しているわけです。

それでも、煩悩がつまらない執着の対象にしているものは、すべて空で何もない幻なのだといわれたら、私たち凡夫は生きていく希望も何も失ってしまいましょう。
私達は欲望があるから生きていられるのです。

あれもしたい、これも欲しいと思うからこそ、明日もまた生きる力が湧くのではないでしょうか。



この世のあらゆる文明も科学も芸術も、人間の飽くことなき欲望の生んだものです。

仏教は、煩悩あればこそ、その苦から脱出したいと菩提を求める気にもなるのだから、煩悩即菩提と教えます。

煩悩を上手に飼い慣らし、手綱をうまくさばくことによって、私達はこの世に生きていけるのです。

それが空即是色です。

「寂聴般若心経」 瀬戸内寂聴著/中央公論社 より。



深くて、でも何だか優しくて、そしてビックブックや12&12と何だか同じ事書いてある。

これを読んでいたら何だか心が落ち着いてきた。

今日は良く寝られそうだ。

実家にて

いつまでも変な記事を晒して置くと、どんどんどんどん変なコメントばかりくるので記事更新をしました。

(人のブログにコメントばかり書いてないで、自分の事を自前のブログで書きなさい。まったく・・・ブツブツ)



私の家にはTVがありません。

これは別に金が無いからという訳ではなく、もともと私はTVをほとんど見ないのです。

だから必要が無いので金がある時でも買う気になれませんでした。

その代わり、ネットに接続できるPCが無いと私は多分発狂します。



ですのでここ2年程は私がTVを見る機会があるのは実家にいる時だけです。

大体は何の番組をやっていたとしても私にはノイズとしか聞こえなくて五月蝿いとしか思えません。



今日も実家に行ってきました。

そして実家に行けばほぼ100%の確立でTVがついています。

いつもは前述の通りなのですが、今日は思わずガン見した番組がひとつと耳に残った言葉が一つありました。



耳に残った言葉は、「早く死んで欲しいと思った。」という一言。

漫画家の西原理恵子さんが出てた番組を母が録画していたものでした。

西原さんの元旦那さんでアル中の鴨志田さんが飲んでた時に、西原さんはそう思っていたそうです。



ガン見した番組の方は、ガン見したくなかったのに結果として見てしまった番組。

「妻を突然襲った肺がん。定年を迎え、「これから妻とのんびり過ごしていこう」と思った矢先の出来事だった。一年半にわたる闘病生活を懸命に支えたが、妻は静かに逝った。激しく押し寄せる絶望感。酒に浸り、自ら死をも考えるようになるほど追い込まれていく。妻を亡くした喪失感は、これまでの経験も想像もはるかに超えたものだった・・・。

夫は国立がんセンター名誉総長の垣添忠生さん。日本のがん医療の最前線に立ち続ける、まさにプロ中のプロとも言うべき人物が、最愛の身内をがんで失う苦しみに、我がこととして耐えたのである。
この番組は、その垣添さんの手記にもとづくドキュメンタリードラマである。妻を看取ることで訪れた絶望と苦悶の日々。そこから、どのように、少しずつ生きる希望を獲得し、立ち直っていったのか。喪失と再生の壮絶な物語。」

(以上NHKのページからコピペしてきました)。



あー、これ見たら多分泣くだろうなぁ・・・と思ったので見ないようにしてたのですが結局ダメでした。

(案の定見始めてすぐにティッシュが手放せなくなってしまいました。)



死に別れの場合は、来る日も来る日も悲嘆に暮れて、そしてそれが自分が死ぬまで永遠に続くのではないのか、とそう思うそうです。

そして残された方は「自分はもう生きている意味が無い」と思うそうです。

でもその悲嘆の日々をその人が超えた時、自然と不思議な事が起こると、そう言っていました。



その不思議な事とは、死別した人が生きていたときよりも、もっとその人が自分の近くに存在している事を実感できるようになる、という事らしいです。

TVの番組の中でも俳優の演技の中でそれを如実に語っていました。



それとね、私の母も全く同じ事を言っていました。

私の父ももう亡くなって10年以上経ちますがやはりそうだったそうです。

母が知っている伴侶に先立たれてしまった知人の方達も、不思議なんだけどやはりすべからくそうなんだ、と。



もちろん私も実の父を失ったのでその立場では十分あったのですが。

父の死に際して私は悲嘆に暮れた訳でなく、涙の一粒も出てこなかった。

それがどうしてなのかはよくわかりません。

ただ単に私は悲しくなかっただけなのかもしれません。



それを鈍すぎる、という言葉で片付けてしまっていいのものなのかどうなのか。

情愛というか愛憎というか、人として持っているべき大きな何か、が私には欠落しているようです。



話は変わって今日は賭けない生き方を始めてから初めて借金の申し出を母にしてきました。

今、私は一人で自活していく事ができません。



私は今38です。

母はもう70を超えています。

その母に対して援助を求めました。

情けない話ですが、これが自分の現実であります。



私の過去はもう大幅なマイナス超過で既に確定済みです。

だからこれからを頑張ればいい、少しでもプラスにしていければいい、とそう思っていました。

でも実際はそうでは無く、私が今のアブスティナンスを頂いていてからも結果としてマイナスが確定しています。



何かの大きな欠落が私にある、とさっき書きましたけれど元から超債務超過な人間なのだから、超債務超過状態からただの債務超過になれるように地道に努力すべきなのでしょう。

何もかも帳消しにしていきなりプラス超過に持っていく事なんて事はできはしない。



これから長い時間をかけて、徐々に色々な債務超過を小さくしていく事。

(どこまで生きられるかはわかりませんが)

それが私にとっては普通になる、人並みになるって事なのかもしれません。

短気な私にとって、それは気の遠くなるような話です。



「いつになったら・・・」とは思うものの、それを実現したいのであれば今のアブスティナンスを大事にしていくしかありません。



アブスティナンスを失ってしまえば「早く死んで欲しい」と思われる自分なのです。

閑話休題

今日は寒い一日でした。

こちらでは初雪になるのか?、今日は一日中雪が降っていました。

いよいよ冬ってな感じです。



最近のワタクシの幸せな時間。

それは朝、夕の電車通勤中、私の隣に女性が座った時であります。

先日は女子大生二人に囲まれ、その二人の太ももが私の足に密着。

暖かくて、ほいでもって柔らかくてムチっとしてて。

(確かに変質者ですが、いいじゃんべつに。私は一人で寂しいんだよ)



違法な事もせず、またお金を支払う必要も無く、相手の意思をも問わず、約1時間20分程度の通勤時間中ずーっとその状態が続き、私サイコーに幸せでございました^^



こんな事をまたここに書いてしまったら、もうミーティングで私の隣に女性が座ってくれなくなるな・・・

で、でもジロジロ見たりしないし、が・が・が、ガン見なんてしませんから怖がらずに隣に来てね^^

(言い訳)



さ、あほな事書いてないで寝よ寝よ。





一GAメンバーの妄想

メンバー以外の方にはすごくとっつきにくい記事です。

しかも私個人の妄想でしかありませんから、ここに書いた事はグループやGA全体の意見としてでは全くありませんのでは悪しからずご了承ください。

※妄想にプラスしてかなり青臭い内容です。



今日、仕事帰りの電車の中でビックブックを読んでいました。

いつもは大体寝ているのですが、今日は何となく読む気になったので。

読むたびに何故か見えてくるところが違う、これが本当に不思議な本であります。



さて。

ビックブックはAAのベーシックテキスト。

私はこの本を使ってスポンサーからステップを手渡してもらいました。

私が自分のスポンシーにステップを手渡すのもやはりこの本を使っています。



実際ビックブックは素晴らしい本です。



でもこれはやはりAAメンバーのための本であって、GAメンバーである私が本来は使うべきものではないのだろう、とそう思います。

GAメンバーはGAの書籍を使うべし、みたいな話が今年の某集いの中の会議中にあった、と記憶しています。

実際、一致のためのプログラムの3、5、6を見てもやはりそうなのだと思います。(参照先があってるかどうかは私の主観なので悪しからず)



GAメンバーはやはりGAの書籍を使うべき、なのでしょう。



私たち本来のベーシックテキストと呼ぶべきものは、その一部が翻訳されてGA書籍として発刊されている「レッドブック」と「ブルーブック」になるのでしょうか?

私はビックブックを読んだ後にこの2つを読みました。

それまではGAの創設者の名前さえ、恥ずかしながら知りませんでした。

ジムというGAの創設者がギャンブルのみならずアルコールの問題も抱えていて、彼がAAのメンバーであった事も知りませんでした。



AAの共同創始者であるビル・WやDrボブの事は良く知っていたのにも関らず…。



ところでレッドブックもブルーブックも両方ともに何回かは目を通してはいるのですが、なにぶん一部分の抜粋になっているので全体としての構成がどのようになっているのかよくわかりません。

そして翻訳自体、ビックブックの第4版を見慣れている目から見れば、全然こなれていないので読みにくいものがあります。(言いたい事を言ってごめんなさい)

そうはいっても未知の書物の一部分だけでも翻訳された、GAの先行く仲間は大変苦労されたと思います。



今、GAは過渡期なのだと思います。

ステップの手渡しやステップミーティングの中で、暫くの間はビックブックや12&12を使わせてもらうのが、翻訳の点でも内容についても現時点では一番良いと思っています。



でもGAはAAの外部団体。

AAはGAの外部団体。

いかなる団体に対しても、これを支持も反対もしないというお互いの伝統に従えば、

GAメンバーはGAのベーシックテキストを使用して回復のためのプログラムを実践していく事、それが伝統の示すところなのだと思います。



今年の周年集いの折、GA文書委員会から今現在GAの書籍の翻訳が全然進んでいないため、全国のGAメンバーに対して翻訳を手伝ってくれるメンバーはいませんか?と、メンバーを募集していました。



わたしゃ、英語が苦手なんだよねぇ・・・汗

でもそんな事言ってたらいつまで経っても翻訳なんて終わんないものねぇ・・・。

という訳で役に立つかどうかはわかりませんが、とりあえず辞書を購入して出来る事はやってみようかなぁ・・・。

私は英語全然ダメ(汗)

検定っぽいものは私が中学生の時にとった英検4級しかありません(滝汗)



でもま、一回チャレンジはしてみようか、とそう思っています。



何だってこんな事を考えるようになったのかと言えば。

以前にも書きましたが、私が12ステップをスポンサーから手渡してもらった後、いつ頃からか12の伝統というものにすごく興味を持つようになりました。



私のホームグループは来年グループが出来てから19年の集いを開催する予定です。

18年前に4人の強迫的ギャンブラー本人とその家族が集まり、GAとギャマノンがスタートしました。

私のホームグループが誕生した当時、私は東京に住んで大学生という名のぷータローをしていました。



そして私が自分の強迫的ギャンブルでどうしようもなくなってGAに繋がったのは、ホームグループが出来てから17年目の事です。



私は12の伝統に興味を持ちはじめて、そこで初めて17年の間、グループが存続していてくれた事にとても感謝しました。

数多くの先行く仲間たちによってミーティングが開かれ続けてくれたおかげで、私はここに繋がる事が出来ました。

自分で会場を開く事も出来るようになりました。

ステップも捜し求めて手渡してもらう事ができるようになりました。

当たり前のように毎週ミーティングが出来る事のありがたみを感じました。



結局、今私が受けている恩恵は、全てGAの先行く仲間達によって積み上げられてきたものの累積にしか他ならないという事実でした。

自分が無償で手渡してもらったものは、仲間に無償で与えていく。



GAそのものが、まさにそれでしょう。



今から10年でも、20年でも先の時代に、今苦しんでいる強迫的ギャンブラーが存在していれば・・・。

その時代に、そこにもGAがあるようにしなければいけないでしょう。

それが今のGAメンバーの責任、と私は思っています。



現在のGAは最低限の組織も、書籍も、その他もろもろ、いずれもほとんど整備されていない状態ですが、今まで先行く仲間が積み上げてきてくれたものが沢山あります。

GAがGAであるために、今の私達でそれをさらに積み上げていけば、確固たる地盤を持って将来もGAは存続していけると思います。

苦しんでいる本人がドアを開けたその時に、ミーティングが開催されていると思います。




24時間GAメンバー

昨日はホームGのミーティングでした。

でも昨日は朝から夜まで、そしてミーティングが終了しても心の中はモヤモヤモヤモヤしていました。

原因はどうも「貧すれば鈍す」って事らしいです。

ピーピーだと何事に対しても鈍感になるのが私のようで、昨日は反省する事多々ありの一日でした。



日曜は例のムカつく電話があった交番に行くつもりでした。

実は昨日の夜に私が敬愛するホームGの仲間が交番に行ってくれたらしく、バイクの状況を確認してくれたのと、交番にずっとバイクを置いておくわけにもいかないだろうから何なら自分の家でバイクを暫く預かるよ、というありがたい申し出を頂いていました。

Bさん、本当にいつもいつもありがとうございます。



それで今日、地下鉄に乗ってバスに乗り換えて交番へ。

行ってみたら随分大きい交番で、4人以上のおまわりさんが待機していました。

電話を事前に入れていったのですが、二言三言会話をしただけでおまわりさん側も私もお互いに食い違いがあることがすぐわかりました。(私に電話をよこしたあのアフォおまわりさんは今日はお休みなのでした)

改めて今日ここに来た経緯と私の個人的な事情を説明しました。



そうしたらおまわりさんの一人がバイクの処理をどうしたものか・・・と困って思案していた私を見て、その場から自分が懇意にしているというバイク屋さんに電話をかけてくれました。

そうしてバイクが盗難車である事と、私の今のお財布事情もバイク屋さんに説明してくれて、その上で修理するなり廃棄するなりお願いできないだろうか?と全て説明してくれました。

(ああ、ありがたや~ありがたや~。)



その後も全て交渉してくれて、バイク屋さんが派出所にバイクを引き取りに来てくれる事になりました。

ついでに私もそのまま乗っけてもらい家まで送ってもらえる事になりました。

(ううう。。。助かりますぅ・・・涙)



前に盗難の届け出を出した交番の方もそうだったのですが、宮城県警の方、あったかいです。

(あのアフォは別にして)

今までは私にとって恐怖の対象でしかなかった警察だったのですが・・・。

(私がいっぱい悪い事をしてたからね。サイレン聞いたりするだけで俺を捕まえにきたんじゃないかって私はそう思ってましたから)

バイク屋さんが来るまでの間、派出所の大きい窓から外をぼんやりと眺めながら、何だって随分自分勝手に色々な事を考えてきたものだとそう思いました。

宮城県警の方、ありがとうございます。

なるべくあなた方のご厄介にならないように気を付けます(笑)



20分程してバイク屋さんが来てくれました。

軽トラから降りてきたのはバイク屋を営んでいる社長の奥さんでした。

手馴れた手つきで荷台にバイクを乗せ、私は助手席に乗っけてもらいました。



いやー。

この奥さんが喋る喋る。

結局派出所から私の自宅まで、二人で延々話していました。

でもその奥さんの話し方が聞いてて全然疲れないし、また話す内容も奥さんの脳内垂れ流しだったのですっかり私と意気投合しましたよん。



奥さんの身近に鬱の人が何人かいるという話になった時、何だか自分の事を話したくなったのでしばらくぶりに病気持ちじゃない人に私の今までの事を話しました。

奥さんは全然びっくりされる事も無く、私の話をニコニコしながら聞いていました。

・・・。

今まで色々な経験を積まれてきたのだろうな、とそう思いました。



そんな話をしていたら、

「普通に生きるっていうけどさ、それってとても難儀な事だよね^^

大体にしてさ、普通とか人並みとかってさ、一体どういう事なのかよく分かんないしねぇ。」

とハンドルを握りながら、その奥さんが言いいました。



ああ・・・

この方、素晴らしい・・・



というか病気持ちじゃないっていう事は、やっぱりこういう事なのか・・・と深く深く感じ入りました。



気づいたらもう私の家の近くまで来ていたので車を下ろしてもらい、謝辞を述べてその場で別れました。

修理の場合と廃棄の場合の見積もりを頂く事にしました。



見積もりがあがってきたら家族に図ります。

了解が得られれば家族から更なる借金をしようと思っています。

ちなみに今もピーピーなので、先日母に借金の申し出をして、母からお金を借りる事にしました。

ですので暫くは生きていくことができますが、負債額は増える一方です。(トホホ・・・)



今日、このように色々と感じたり考えたりできる事がやはりとてもありがたいです。

それを可能にしているのは、今私が頂いているアブスティナンスのお陰なのです。



だから私は今のアブスティナンスを大事にしたい。

それを大事にする為には今日一日のステップの実践、それだけなのだから。



ミーティングから離れて一人でいる時に、自分はGAメンバーであるという事を私は強く感じています。

ミーティングの時間は私の場合は週4時間。

残りの164時間は一人の時間です。



その164時間がね、何だか悪くないのです。

こういうのもありじゃん♪、ってな感じです。



神に、家族に、仲間に感謝して、ぼちぼちいきましょ^^

「中休み」

「自分を超えた大きな力が、私たちの考え方や生き方を正常なものに戻してくれると信じるようになった。」と書いてあるステップ2。



自分が神を必要としなければ、神を信じようと思うこともできない。

当たり前だけれども、そういう事なのでしょう。



一度賭けたらやめられない、そしてスリップを自分では防ぐ事ができない、それが無力だという事。

自分には力が無いのだから、有力な存在を求めなくてはならないという事。

だからその力を持っている神が必要になってくるのですが・・・。



でも自分でギャンブルを止めていると勘違いしている限り、神はその人間にとっては不要な存在になります。

「ギャンブルに対して無力であり思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。」と書いてあるステップ1。

結局はこのステップを踏むという事がどれだけ大変な事なのかを、仲間を見ていると深く思います。



今のアブスティナンスは私達にとっては単なる中休みにしか過ぎません。

その中休みは今日で終了するかもしれないし、もしかしたら私達が死ぬ瞬間まで続くのかもしれません。

今の中休みを大事にするも、粗末にするも、自分次第。



今のアブスティナンスを粗末に扱っている(自分の力で止めていると思っている)仲間を見るたびに、もったいないな・・・とそう思うのです。

次の中休みが自分に来る保証なんてないのですから。



神を必要としない否認を解けるのは自分だけ。

でも否認を解くきっかけは自分以外の外からかかってくる何がしかのプレッシャーでしょう。



私自身がその否認を解く最初のプレッシャーになったものは、関東の仲間達の笑顔でした。

その笑顔を見て私はとても違和感を感じたのです。

「なんでこいつらこんなに楽そうなんだ?」って。



あれからまだ一年と少ししか経っていません。

私自身は未熟なステップではあるものの、それでも「今、悪くないな」と思っています。

でも周りにステップの魅力を感じさせていないのが私の現実。

(んじゃ偉そうにここに書くなよっていうご指摘はその通りです。それでもここに書きたいから書いてるの。)



ステップを踏んでいない彼らの問題は私には関係の無い事です。

それでも彼らに対して自分が何も出来ていない現実がやはり面白くありません。

(これも否認か)



仲間に対してチクチクと、

あるいはグサグサと、

またはザックリ深々と、

刺してやる事が出来るように・・・と思っていること自体、神を遠ざける事(自分の力で何とかしてやろう)になっていやしないだろうか。

でもま、いいとしましょう。

(自分の事は棚上げ)



私の意志ではなく、あなたの意思がかなえられますように。

聞いてもらえればそれだけでいい

自分で言うのも何なのですが、よくもまあ毎日ここに書く事があるものだと思います。

今日は金欠の話・・・になるのかな?



今日の仕事が終わって地下鉄を降りて帰宅途中に見た事のない固定電話から着信がありました。

とりあえず電話に出てみると、発信先は市内のある交番からでした。



あれ、何か悪い事俺したっけっか?(調子よくも、自分の過去の事はす~っかり忘れておりますので)

って思って話を聞いてたら、あの時に盗難されていたバイク が見つかりましたという電話でした。



あー。今頃出てきたのねぇ。



ついては派出所に来て受け取りのサインをして引き取って欲しい、と。

いつ頃来れるのか、早く取りに来て欲しい、と用件を伝えてきました。

その派出所、どこにあるのか聞いてみたところ私が今住んでいる所からはえらく遠いのですよ。



そこまで行くのに交通費はかかるし、バイクは使う予定は無いし、言うのも恥ずかしい事ですが金欠も甚だしいので取りに行くのは後日にして書類だけでも郵送してくれないかと頼みました。



「重要書類なので紛失した場合責任が云々・・・」と向こうは言ってきました。

(佐川でもヤマトでも別に送れるでしょうが。着払いで送ってもらった方が私の負担は少ないのだ。とまあ勝手に心で愚痴愚痴言いつつ・・・)

それでは引き取りに行きます、という事にしました。



しましたが・・・、バイクはどんな状況なのか、その説明を私は待っていたのですが向こうからは一向に説明がありませんでした。

ですので「今の状態はどうなのですか?自走出来る状態なのかどうなのか?教えてください。」

と聞きました。



しばらくお待ち下さいといって確認しにいった電話の向こう口から言われた事は、

「ボディは青く塗られていて、ナンバープレートは曲がっています。シートはあちこちに傷があります。」

とそれだけ。



ま、状態はそんなものでしょうよ。

でもおまわりさん?

私の質問はそれで終わってはいないのだよ?

走れるのかどうなのか、それを私は聞きてーんだよ。



「バイクの傷み具合は分かりました。それで走れる状況なのかどうなのか、私お聞きしたのですけど??」と私。

「あ・・・、えっと・・・、自走は無理…だと思います・・・」とおまわり。



「・・・」



あんたさっき俺の今の所在地聞いたよねぇ?

んで自分の派出所の住所も言ったよねぇ?

多分15km以上は離れてるよ?

そんで何か?俺にずーっとここまでバイク引いていけってのか?



取りに来い取りに来い、とそればっかり言ってさ、

その前に言う事あんじゃねーのか??

自走できない状態なんだって事、まずは伝えるべきなんじゃねーの?

ってか私からその事を聞かなければ、あんたは話さないままこの電話切ってたでしょ?

足も何にも無い状態で、情けない話今まったく金もないのでそこまで行くのだけでもきっついって話、サッキタシカニアナタニシマシタヨネ。



何でそういう所に頭まわんねーのかなぁ?

もしかして最初から言いたくなかったんか?



このばかやろー、言いたくないと思う事を一番先に言えってんだ。

ってかあんたは何も悪い事してないんだから、別に言いたくない事でも何でもないでしょうが。



その後は色々愚痴愚痴言いまして、書類だけはしゃーないので書きに行く事にしてバイクはしばらく預かってもらう事にして電話を切りました。

もーこの時には頭カンカンになってます。



そして電話切った位の時にちょうど自宅に着きました。

ポストを確認したらガス代の請求書が入ってました。

「んあ!? ・・・うぞだ・・・この金額」



もう私はすっかりしょげ返り、そっこー風呂を沸かして飯食って不貞寝してやるつもりでした。

風呂入ってる間、もともとはバイクに鍵さしっぱだったのが原因だからしゃーない事なんだけどさー、と思いつつも、何で金欠の今になってこんな事になるんかなぁ、と思っていました。

ちぇ、と思いながら風呂から出てみると私の携帯にまた着信がありました。



今度は見知らぬ携帯からでした。

1分近く鳴らされていたので折り返しかけてみました。

そしたらうちのグループのある仲間の携帯でした。



とにかく平和そうな向こうの仲間の声をまず聞いたワタクシ。

もう今のムカムカをそのまま伝えたくなり、とりあえず仲間の用件を聞いて答えた後、

その仲間にがぁーーーーーーーーーーーー!っとついさっきあった事を話しました。



いやー。

話したらえらいスッキリ^^

さっきまでのもやもや、一体何処に行った?




結局のところ金が全然無い状態でピーピーなのに、不測の事態でさらに出費がかかるかもしれない、っていうのが私はえらく面白くなかったわけです。

とにかく不安になったわけです。

それにプラスして例のおまわりのあの説明不備というかどたまがピーでピーなんだろってな伝え方で、私はすっかりプッツンしてしまったという事です。



電話口の仲間には随分びっくりさせてしまいました。

土曜日に会った時に謝罪しておく事とします。



でも言いたい事を言ってスッキリしました。

おかげでぐっすり寝れる(笑)

明日もてきとーに仕事頑張れる^^



何かあってもスマした顔して涼やかな雰囲気で穏やかに・・・^^、なんてそげなものは私には要らねっす。

そんなもん持ってても生き辛くってしょうがない。

愚痴愚痴言いたい事を言える相手が居るのなら、いいカッコしてないで何でも喋ってた方がずっとラクダ。



最近の私はほんとにこればっかです。

言える相手が居て、またそれを聞いてくれる相手が居て・・・。

一人じゃね、結局は何にもできないものです。


いつ書いてるかと言われれば・・・

家に帰ってから寝るまでの間にブログは書いています。

私は気分屋なので書く時と書かない時の落差がかなり激しいです。

今はそう鬱で言えばちょうどそう状態なのでしょう。

鬱状態の時はブログは放置して冬眠に入りますので。



あちこちでお会いした方々に「このブログ見てるよ」、とか言われると書いてる本人はかなり嬉し恥ずかしです。

書いてる人間としては自分のブログをどんな方が見てくれているのかは解りません。

意外な方から、意外な場所から、「見てるよ」と言われれば言われるほど、こちらとしては恥ずかしくなるものです。



あんな事書いちゃった、とかこんな事書いちゃったとか、

ぶっちゃけた事をここに書けば書くほど、自分の未熟さとか無知とか、無駄に高い鼻っ柱とか何とか・・・

人にはあまり見せたくないものが丸出しになっていますから。

普段の私を知っている人については尚更の事です。



まぁ、それでも声をかけていただけるのは嬉しいものです。

それにここを見てくれているのなら自己紹介をしないでも済みますし。



もしどこかのセミナーやOSMで私を見かけたらぜひお声がけください。

特に面白みもない強迫的ギャンブラーですのでどうぞご遠慮なく。

ただし毒は吐きますので取り扱いにはご注意下さい(笑)



一人の時間

つい先日の事。



実家に行ってご飯をご馳走になってきました。

いつもは大体母と二人で・・・となるのですが、その時はプラスして姪っ子&甥っ子&その母さん&+αの計6人で食べました。

その場に居合わせた顔ぶれで私が苦手意識を持っている人は特にいません。

私にとってはむしろ気分的には結構楽なメンバーの集まりでした。



それでもなのですが、ご飯を食べ終えた後、自分がその場でやる事がなくなると途端にその場に居ずらくなります。

胸の奥の方から何だかモヤモヤしたものが出てきます。

昔であればそのまま自分の部屋へ逃げ込むところなのですが今は逃げ込む部屋も実家には無いので、みんなには悪かったのですがそのまま早々に退散する事にしました。



家への帰りがてら、何か悪い事しちゃったなぁ、と思っていました。

でもまあよくよく考えてみたら、私は家族の誰かと一定時間以上同じ場所に居る事ができなかったのを思い出しました。

いいとこ2時間から3時間くらいでしょうか、一緒に居る事ができる時間というのは。

家族と何かで集まる時とかも、いっつもその位の時間が私のリミッターのようです。

(それでも自分的にはかなり頑張ってる方の時間です。)



だからといって一緒に居る事のできる時間を長くしようとも思いません。

お互いもういい年だし、その辺はしょうがないでしょう。

ちょくちょく顔は出しながらも距離は置いていくのが自分にはいいようです。



でも仲間と会ってる時はかなりの長時間、一緒に居れたりするのですから何だか不思議なものです。

同病相哀れむ、と言ったところなのかどうなのか^^



今は一人でいる時間が多いです。

寂しい事は寂しいですし、お金も無いので何処にもいけませんが、何だかんだで一番落ち着く時間でもあります。

そんな感じでマッタリしている時に限って仲間から愚痴愚痴メールがきたりするのであります。

めんどくせー、と思いながらも毒を含まないで返事をしている自分がなぜかおります。

少しは私も大人になったのか、それとも柔らかい返事をしておかないと後でもっと面倒な事になるのが分かってるからなのかどうなのか・・・。



いやいや。

あやしうこそものぐるほしけれ、ですな。

いつまでもお客さんじゃつまらないでしょう


ただ、感じるままに 無限に飛べ!

仙台の冬の恒例行事、光のページェントが今月から始まりました。

大晦日まで確かやっているはずです。

仙台に来られる予定の方は定禅寺通りまで足を運んでみてください。

実際見てみると中々綺麗なものですよ。



ところで例の企みの方は一歩前進しましたね。

五里霧中、暗中模索、七転八倒・・・な未来が簡単に予測できますが(笑)、

お互いに「恐れずに行動」して行きましょうネ



その件の事なのですが、実は私なりのスタンスを持っているのですが、簡単にその事だけ記事にしたいと思いました。



今回の企画については、随分前から各グループの先行く仲間たちの間で話があった事を実は後から聞きました。

私自身は、12ステップを使っていくうちに12の伝統というものにすごく興味が湧いてきて、その興味の中から湧いて出てきたものが今回の企画のようなもの、でした。



そのような催し事をしてみたいなぁ、という源になった私の感情は基本的には負のものです。

ストレートに表現するとかなりピーな言葉になっちゃうので自己規制をかけますが。(いつもそうしろって・・・)



柔らかく言えば、いつまでもお客さんのままじゃ回復なんてできないよ、プログラムをやる気にならなければ一生今のまんまだよ、って事です。(あ、言っちゃった。)

私以外の仲間が回復しようがしまいが、私の日常には何の関係もないのだけれどさ、

ぬるま湯に浸かったままじゃぁ、もったいないと思うし、哀れに思います。

ぬるま湯ってさ、一度入ったら出られないんだよ。

出れば寒いからまたすぐに戻るでしょう?



家からの引きこもりは無くなったとしても、グループの中にずっと引きこもってたんじゃ、ただ単に場所が変わっただけじゃないの。(もう口が悪いのはどうしようもないな。)



でも傷のなめあいが悪いと言っている訳では無いし、ぬるま湯に浸かっている時間ももちろん必要な事だと思います。

GAはお互いに愚痴愚痴と愚痴を言い合うところでもあれば、回復の喜びを分かち合うところでもあります。

回復している人もいれば、回復していない人もいます。

病気持ちの集まりなので仲間同士でも色々なモメ事や争い事があります。

またそれとは逆に強固な信頼関係が築かれる事もあります。

それらを全部ひっくるめて、初めてGAが機能するのだろうという事もおぼろげながら理解し始めてはいます。



でもね。。。

今よりはもっとよくなろうよ。

回復の喜びの分かち合いというのがあまりに少ないのではないのかと、私はそう思うのです。

もうちょっとだけでいいから・・・。



その実現の為に一番手っ取り早い事は、外圧をかける・プレッシャーを与える、という事。

自分のグループだけに引きこもってないで、他の地域の仲間達の姿を直に見て、そこから何かを感じとれれば・・・、とそう思いました。



もしそうなれば、自分からぬるま湯を少し出てみようという気になるかもしれない、

ぬるま湯でてみたら外は意外に快適に感じるかもしれない、

そんなような事を淡~く妄想したりしています。



いつものように、ここでもワタクシは自分の事は全ておいといています。

(わたしゃそういう人間なので、それはもう隠してもしょうがない。)



そしてそして、あわよくばグループの何がしかのサービスに役割に就きたい、なんて言ってくれる仲間が出てきてくれたりなんだりしたら・・・



そんな風にもしなっていったとしたら、うちのグループはこれからも存続していく事ができるんではないかと、メッセージを出し続けていく事が出来るのではないかと、そう思っています。



そうなってきたら初めてブロック毎のオフィスの話とか、セントラルオフィスの話とか、いろいろな事が現実に議論できて、そして実現できていくのではないか、と。



その為のある意味試金石みたいな感じを今回の企画で私は思っておりました。

だから今日の連絡を頂いて、とても嬉しく思った次第です。



以上が私の個人的なスタンスでし。



・・・


んでここまでを総括してみれば・・・、

何だかんだブーたれてるけどよ、結局はお前の愚痴で単なる妄想じゃん、って事になるようです。



「書いてみて、初めて解る棚卸」…東北の某GAメンバー作



アブスティナンスを粗末にしてはいけない。

BBに書いてあるフレッドという人物のスリップした話を地で行くような、そんな仲間のスリップの話をごく最近聞きました。



「また賭けない日を過ごせばいいよ」と、スリップした事を聞いた側としてはそれしか言えません。

でも随分長い期間頂いていたアブスティナンスを失うのはもったいない事です。

次にまた自分にアブスティナンスを頂ける保証なんて、そんなものは何処にも無いのですから。



スリップした理由など探しても、そんなものは見つかるはずがないのです。

誰も自分の首根っこ押さえつけて、パチンコ台やスロット台の前に連れて行ったわけではないのですから。

自分でパチンコ屋に行きたいから行った。

ギャンブルをしたいからやった。

それだけの事です。



BBの医師の意見に書いてある通り「肉体」と「精神」、両方の病が依存症の正体。

肉体の病は、一度やったら止められないという強迫観念の方。

精神の病は、知識としてはちゃんとわかっていても決してギャンブルを止める事ができないという狂気。



だから自分ではギャンブルは止められないし、スリップも防ぐ事は出来ない。



ギャンブルを止めてから・・・、という言葉を今でもよく聞きます。

その言葉を聞く度に、「ギャンブルを止めたんじゃなくて、今ギャンブルがたまたま止まってるだけでしょう。」と心の中で思っています。

自分以外の誰か・何かの力によって、自分の止まらないギャンブルを止めてもらったのではないのか?

家族にばれて、借金が返せなくなって、会社にばれて、犯罪を犯して、施設への入所、精神病院への入院等。

その要因は人によって違うでしょうが、何かの外的なショックで止めてもらったのではないのでしょうか。



強迫観念の方は一度何かのきっかけでギャンブルが止まってくれれば、しばらくすると収まってきます。

GAではビギナーに向けて、GAに繋がってから90日を迎えるための書籍を用意しています。

ギャンブルが止まって最初の3ヶ月が特にスリップの危険が高い期間。

そしてそのくらい期間を経れば、とりあえず強迫観念の方は次第に収束してくれるようになります。



だから「私はギャンブルを止めてから・・・」と話すのでしょう。

自分の力でギャンブルを止めたのだとそう思うのでしょう。



でもそうではありません。

アブスティナンス(賭けない生き方)は神から自分が頂くものです。

それを大事にするのか、粗末にするのか、それが私達に出来る事です。



自分の狂気を抑えてくれるのは、自分を超えた大きな力だけです。

その力が自分の生き方を変えてくれます。

その具体的な方法として12ステップがあります。



ステップを踏んでミーティングに繋がって、それで初めて今日一日の執行猶予が得られます。

ステップも踏まない、ミーティングにもたまにしか顔を出さない。

そんな風にアブスティナンスを粗末に扱ってしまえばたちまちそれは失われてしまいます。



「しかし、GAの考えによれば、強迫的ギャンブラーというのは実は重い病気にかかった人間なのであり、簡単なプログラムに懸命になって従っていけば、回復できるのである。」

とハンドブックに書いてあります。



簡単なプログラムである12ステップに従おうとしないのはなぜですか?

19ページしかないハンドブックの至るところに「このプログラムは有効なのだ」と書いてあります。

ステップを踏もうとしない・踏めないのはなぜ?



自分はステップを踏まなくてもミーティングにずっときているから大丈夫。

ステップを踏まなくても今も賭けないでいられている。だから私には必要ない。

棚卸表なんか書かなくてもミーティングで私は何でも話しているから棚卸はしている。

神様神様言うのが何か可笑しいし、受け入れられない。

埋め合わせというけれど、今賭けないでいる事が一番の埋め合わせです。



上に書いたような事を聞く度に、スリップしてしまった時に仲間が言う色々な言い訳と同じに聞こえます。



全部自分の解釈なのではないですか?

自分なら大丈夫、もう失敗はしない、もう2度と賭けない、というその考え。



自分の過去を振り返ってみましょう。

GAに繋がったのはなぜ?

ギャンブルを止めたいという願いを持ってきたのではないのですか?



ハンドブックにはそのためにはどうすればいいのか、その事だけが書いてあります。

そのハンドブックに書いてあることにさえ自分は従えない、あるいは従おうとしない。



それが狂気でなくて何なのでしょうか?


そのほっぺたつまんでムニムニしたい

何やら怪しげなタイトルを付けてみましたが、実際怪しい話です。

今日は若くて可愛い女の子の話。

彼女の年齢は一桁台ではないし、3ピー歳までいってる訳でもありません。

文字通り、わ・か・く・て、か・わ・い・い、であります。



それでですねぇ、私はその子の親を知っております。

でもさー・・・

あの人からどーすればこんな可愛い子が生まれてくるのか・・・

まさしく生命の神秘????



ああ・・・

こんな事をここに書いたらワタクシ何処で何言われっかわかりましぇん。

何だってかこのブログ、色々と筒抜けなんだもんなぁ・・・

でもま、いいとしましょう^^



ところで・・・



私のスポンシーの一人にACの問題がかなり根深い人がいます。

そのような方にステップを手渡す、ということは私にとっても初めての経験でしたので、手渡すにあたってはマイスポンサーや親しくさせてもらっているギャマノンの方に助言や提案を頂きました。

そうやって実際に読み合わせを始めていったのですが・・・。



ここから書くことはあくまで今の私の個人的な考えですので悪しからずご了承ください。



12ステップを実践するという事は基本的にベクトルを↓(自我の縮小)に向かわせるとします。

依存症者の性格は鼻っ柱が富士山よりも高いので(ベクトルとしては↑↑↑)、

その肥大化した自我(↑↑↑)をステップを実践(↓)していくことで縮小させ、結果として自我のバランスがとれるようになるのだと思っています。

言い換えればステップを実践していけばいくほど、その辺にごろごろいる普通な人、になっていくって感じでしょうか。(かなり大雑把。)



そして今回私がやってみて分かった事は、

ACの性格は鼻っ柱が日本海溝よりも深い(ベクトルとしては↓↓↓)という事でした。

依存症者とはベクトルの方向が真逆です。



なのでそのままステップを実践していけば、

その縮小しきった自我(↓↓↓)をステップ(↓)でさらに圧縮させることにより、浜辺でごろごろ吊るされている様な立派な普通のスルメができちゃうでしょう。



こっちとしてはスルメの生成に手を貸す事はしたくないので、まずは彼らの方向性を↓から↑にもっていくようにするしかありません。

ではそのために実際に何をするかと言われれば、な~んにも私が出来る事は無いのであります。



今はただ、その人の話を聞くことだけに集中しています。

私はただの話の聞き役、です。

でもねぇ、これが厄介なのですが彼らは中々話を進んでしようとしてはくれないのです。



彼らにしてみれば過去の自分の事を話すのはひどく苦しいし、そして痛みを伴うようです。

私には幼少期の虐待等の記憶がありませんから(忘れているだけかもしれませんし、そう思い込んでるだけかもしれまんが)、その苦痛については理解できません。



そのスポンシーにはまずはクリニックに通いカウンセリングやワークショップを受ける事を第一優先とし、ステップはあくまでもサブでやっていこう、という事を提案して今はその通りにしています。



その方針を決めて以降、私が彼と会うたびに、彼が自分の事を前回よりも話してくれるようになりました。

今はその繰り返しの途中。

そして彼と会って話をするたびに、少しずつ表情が戻ってきているのを実感しています。



とりあえず心にたまっているものをいったん出し切らないと、そこに新しいものが入る余地がありません。

自然は真空を嫌う、とある本に書いてありました。

そこにあったものを取り去ればそこは真空にはならず、新しいものが代わりに入ってくる。それが自然の摂理なのだと。

これもそうなのかもしれませんね。



という訳で冒頭に書いた女の子に戻ります。



私はその子の顔を見た瞬間、その強張ったほぺったをつまんでムニムニして柔らか~くしたくなったのでありました。

君が笑ったら世の男共はたいてーコロリとヤラれちまうでしょう♪



いつの日か、その子の心からの笑顔を見たいと、そう思いました。

(ついでにころりとヤラれちまいたいとも思いましたさー)

悪くない


家賃は不動産屋に連絡を入れて(説教を軽く食らった)延滞中。

どうしても支払いをしなければいけないものだけ入金。

それ以外の口座振替になっているものは引き落とされないように全部おろして別の通帳にいれました(ごめんなさいねぇ)

それで今手元にあるお金は新品のPSPを買える位しかありません。



今月の10日に振り込まれる給料は色々差っぴかれた上で恐らく6~7万前後でしょう。

来月からはしっかり貰えますが今の職は来年の2月末までの期間限定。



まったくもって先が見えませぬ。

先は見えないのだけれど、実際見えてもしょうがない。

なるようにしか世の中ならん(笑)



不安や恐れはたくさんあります。

愚痴も毎日ビービーこぼしていますし、何かにムカつかない日は基本的にありません。

もっとお金も欲しいし、もっと時間も自由にしたいし、働くのがめんどくせーとも思います。

今も仕事行きたくない病が発生しています。

ついでにいえば女性とお付き合いもしたいのであります。



それでもね、今の私の生活、悪くありません。

もっと簡単に言えば割と楽しいです。(もちろん苦しいけどね)



去年の2月にうちのグループに繋がってから今日ここまで。

今が一番悪くありません。

良いわけではもちろんないけれど。

フレッドの話じゃないけれどね、やっぱりそう思う。



道具が私の中で廻り始めてくれたのか何なのか。

私が単純に鈍いだけかどうなのか。



ま、何でもいいや。

今が悪くないって感じてる事だけは確かなんだから。



でもなぁ、今はそんなことを言っていてもしばらくすればまた苦しくなるんだろうなぁ。

それでも悪くないとかって多分言うんだろうなぁ。

私って実はMだったんかな?(笑)


乳飲み子にお似合いのハイヤーパワー

最近の私の必殺技は「ぶっちゃけフェロー」であります。

それはずばり仲間の心の奥底をドリルで掻き回す、っていう事です^^

前にも言いましたが私は冷酷で残忍であります。



まずは人懐っこそうな笑顔を作り、そのまま仲間の影に忍び寄ります。

そして軽く挨拶をした後、仲間の話を聞きながらその仲間が反応しそうな「毒の言葉」を脳内で生成。

そして耳元でその「毒」を吐きます。



その「毒」がうまい事はまりますとそれは仲間の傷口に染み渡ります。

染み渡ってしまえばこちらのもの。

仲間の口からぼろぼろぼろぼろと溜まっていたものがまー出てくる出てくる。

そのぼろぼろと出てきたものを私はじっくりと賞味させていただいておりまする^^

ええ、私は人間ではありませぬ。



こんな事を書いてしまったら私が喫煙所に行った瞬間に仲間はちりじりに逃げてしまうかもしれない・・・

でも出すものを出した仲間の表情がすっきりしていくのを見ていくのが、なんとも言えない私の快感になっております。



でもま、これは相手方の途方も無い寛容さに甘えて私が好き勝手にやっておりますので。

今のところは周りで仕掛ける相手がかなり限定されているのが残念(笑)



さて、タイトルに書きました今の私の神様について。


その話の前に「祈る」という習慣が一年前までの私にはあまり無かったので、今はもっぱら平安の祈りを朝と晩、そして「んあ?!」となった時に唱えています。



平安の祈りは短い言葉だけで構成されています。

だからすぐに暗記できるしどこでもお祈りできるので、ビギナーにはほんとにありがたいお祈りです。

でも平安の祈りに籠められている栄養価はもの凄く高いようで、これだけ祈っていれば心のキャパが低い私はすぐ満腹(心が落ち着く)になります。

祈りを始めたばかりの乳飲み子にとっての母乳のような、これはそんな祈りなのでしょう。



いずれこの習慣を続けていくうちに心のキャパが大きくなっていくのだとしたら。

離乳食を経てふつうのご飯を食べたりおかずを食べるようになって体がどんどん成長するように、祈りも長いものを覚えるようになり、それによって心が成長するのかなぁ・・・と思っています。

実際今の私には聖フランシスコの祈りも、般若心経も、かなり重めです。



ところで、私お祈りしながらよく神様にブーたれております。

神様、といっても日本古来の八百万の神様とか色々な宗教の神様がいらっしゃるのですが、その中でも「仏」という存在が自分にとっては自然に受け入れる事ができたので、今はお不動様にお祈りしています。



んでお不動様に向かって手をあわせて、そんでもって平安の祈りを唱える、という何ともミスマッチな状態で祈っています。

そして平安の祈りが終わった後に、私は仲間に話しかけるようにお不動様に話しかけてる事があります。

「○○があんな事言ってきましたが、あいつのどたまの中”ピー”で”ピー”になってんじゃないっすか?」

みたいにね。



実際私がこれをやっている状況を傍から見てみれば、それはあまりに痛すぎる光景だと思います(笑)

でも一回話しだすとミーティングと一緒で何だかしらないけど止まらない止まらない。

私の中の毒が全部出るまでは多分止まってないです。



でもこれをやっているとね、一人でただ喋っている気が全然しないのです。

何だか目の前で難しい顔をしているお不動様が全部ほんとに聞いてくれているような、そんな感じなんですよん。

そしてね、喋り終わると何だか自分の欠点が丸見えになるんです。



自分の口から言って、自分の耳で聞くでしょう?

自分で思ってるだけじゃわからなかったものが、自分の耳で自分の口から出た言葉で聞いたものだから気づくのです。

「あ・・・。馬鹿なの俺じゃん・・・。」って。



その間、お不動様は何にも言わないでそこにいるまま。

最初から最後まで片目を吊り上げたまんま。

ついでに言えば、ただ紙に書かれた仏様を額縁に入れているだけでございます。



でも、それでも聞いてもらった、という実感が確かにあります。



最初にそれを私が感じた時、神様という存在を随分身近に感じました。



身近に感じる事ができなかったのは、私が勝手に神様を遠ざけていたからでしょう。

神というぐらいなんだから自分にとってもの凄く遠い存在なんだと・・・。

愚痴なんて言ってはいけない相手で、ただただお祈りだけしかできない存在なんだって。



ビックブックには「自分なりに理解した・・・」と書いてあります。



そういう事なのかもしれない、と思いました。



今の私なりに理解している神。

それは「自分の愚痴を聞いてくれるお不動様」です(笑)
ただ、感じるままに 無限に飛べ!-SN3I0127.jpg

いつも私の愚痴を聞かされているお不動様ね。


もし私の信仰が深まれば、私なりに理解した神様もどんどん成長していくのだと、そう思っています。

でもどんなに信仰が深まったとしてもなぁ、その時にも私は多分愚痴愚痴いってんだろうなぁ。


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Author:よはん
強迫的ギャンブラー よはんの備忘録
GAの事、自分の事、今考えてる事など徒然書いています。

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